月別アーカイブ: 2018年3月

【涙腺崩壊】亡くなった母親が父と娘に残した一本のビデオレター。ずっと見ずにしまっておいたのだが…

 

先日、
友達の女の子の結婚式に招待された時の話。

本人から聞いたのか、
共通の友人から聞いたのかあやふやだけど、
その子は物心つく前にお母さんが亡くなっていて、
父親に育てられたみたいな話は耳にした事があった。
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式後に聞いた話だけど、
何かの映画か小説かであった、
余命を知った母親がまだ小さい子供のために
ビデオメッセージを残すみたいな事を
その子の母親もやってたそうだ。

と言っても何百本もって訳じゃなく、
絵本を読み聞かせるビデオや、
小学校卒業ぐらいまでの
毎年の誕生日メッセージぐらいだったらしい。

その中にひとつ、
「娘が結婚したら一緒に見て」と
父親が渡されていたビデオがあったそうだ。

思い出して辛いのか、
友人の父親はあまりビデオを見たがらず、
祝福してくれる皆とならって事で、
結婚式でそのビデオが流れる事になった・・・

2人もそのビデオを見るのは初めてだったそうだ。

そんな説明を少し司会者がしてたものの、
旧友との話に花が咲き、
お酒も入って軽く聞き流してた所で
ビデオが流れ始めた。

自分と変わらないぐらいの年の綺麗な女性が映り、
「○○ちゃんおめでとー!」って
クラッカーをパーン!と鳴らす。

「○○ちゃんは何歳で結婚したんだろう?
きっとママに似た素敵な女性に
なってるんだろうねー。」と、

アットホームなホームビデオって感じで、
ほのぼのVTRが流れる。

時折冗談を交えて、しんみりする雰囲気じゃなく、
新婦も招待された人達も笑顔で見てた。

5分くらいメッセージが続き、
ビデオの中の女性は言葉を
探すようになり、そろそろ終わりかなと思った頃、

「後・・・」と少し間が空いて、

「最後に、○○君(新婦の父親)、
○○ちゃんを立派にお嫁に出してくれてありがとう。」

娘に宛てたメッセージとはまた違う、
凄い優しい笑顔になって、メッセージは続く。

「○○君の事を愛してます。」

「きっと、お腹が出ちゃってる○○君を、
もしかすると頭が寂しくなってるかもしれない○○君を、
今でも愛してます。」

「いつかおじいちゃんになる○○君も、
ずっと愛してます。」

少し俯いた後、
照れくさそうな顔をして画面に
手を伸ばす女性が映り、ビデオは終わった。

ほのぼの雰囲気だったのが一変、
式場は静まり返って、みんなプルプルし始める。

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そんな中、堪えきれなくなったんだろう、
突然新婦の父がテーブルに突っ伏し、
口を手で塞いで嗚咽を漏らしだす。

新婦も涙で顔をくしゃくしゃにして駆け寄り、
突っ伏した父親を抱きしめて大号泣。

つられてほとんど全員と言っていいぐらいの
女性客が泣き始め、男性客も涙こらえるのに必死。

妙な雰囲気に子供が大声で泣き出し、
まるで葬式のクライマックスみたいな
カオスな状況に・・・

そんな状況をまずいと思ったのか、
司会者が「本当に素敵なメッセージでしたー。

引き続きお食事をお楽しみくださーい。」と〆にかかる。

暫くお通夜状態だったものの、
徐々に平穏を取り戻し、
ようやく元の結婚式らしい雰囲気に
戻った所で新婦父の挨拶に。

新婦の父は明るいガテン系って感じで、
あまり人前で泣くようなキャラじゃないんだろう、
失態を見せてしまったと思ったのか、
妙にテンション高いスピーチを始める。

最後は「私も○○(新婦母)を愛してまーす!」と
新日の棚橋パフォーマンス
(知らない人ごめんなさい)で
若干会場を引かせたものの、
照れ隠しに無理してテンション高く
振る舞ってるのを皆分かってて、
何とも言えない良い雰囲気で式は終わった。

ずっと鳴り止まない拍手と、
新婦より幸せそうな新婦父が印象的だった。

色々あってちょっと疲れたけど、
この結婚式は一生忘れないと思う。
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【感動】ずっと並んで歩こうよ。お前は俺の自慢の彼女なんだから。

私は交通事故に遭って左半身に少し麻痺が残り、

日常生活困るほどではないけど、歩くとおかしいのがばれる。

 

付き合い始めの頃、

それを気にして一歩下がるように歩いてた

私に彼は気がついて、

手をつないで一緒に並んで歩いてくれた。

 
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家に帰ってから訳を聞かれて

「○君に恥ずかしい思いをさせたくなかったから」

って言ったら

「どうしてそんな考え方をするんだ」

と怒られた。

 

私は、

「大好きだった○君と付き合えてるだけで幸せだから。
私と付き合うことで○君に少しでも嫌な思いをさせたくないから」

と言った。

 

すると彼は、泣きながら私の両手を持って、

目の中を覗き込むようにして諭してくれた。

 

「俺はお前と付き合ってあげてるわけじゃない。

俺がお前を好きで一緒にいたい、

付き合いたいと思ったから付き合ってるんだ。

 

お前の体のことなんか、

ずっと前から知ってたけど、

一緒に歩いて恥ずかしいなんて

一回だって思った事はないよ。

 

お前がそんな風に考えてるのが俺は悲しい。

俺に気を使わないで。

自分の事を恥じないで。

 

もっと自信をもって胸を張ってほしい。

ずっと並んで歩こうよ。

お前は俺の自慢の彼女なんだから」

 

私のことをここまで思ってくれる人には

絶対会えないと思う。

 

すごく嬉しくて、涙が止まらなかった。

今は、どこに行くときも並んで歩いています。
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【涙腺崩壊】僕と彼女と連絡帳・・・

俺が小学校5年生のとき、

寝たきりで滅多に学校に来なかった

女の子と同じクラスになったんだ。

 

その子、たまに学校に来たと思ったら

すぐに早退しちまうし、最初は

「あいつだけズルイなぁ・・・。」

なんて思ってたよ。

 
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んで、俺の家、その子の家から結構近かったから、

俺が連絡帳を届ける事になったんだ。

 

女の子のお母さんから連絡帳を貰って、

先生に届けて、またお母さんに渡して・・・。

それの繰り返し。

 

「なんで俺がこんな面倒臭い事しなくちゃいけないんだ!」

って、一人でブーたれてたのを良く覚えてる。

 

そんなある日、俺何となくその子の連絡帳の中を覗いてみたんだ。

ただの興味本位だったんだけど。

 

連絡帳にはその女の子のものらしい華奢な字で、

ページ一杯にこう綴られてた。

 

今日もずっと家で寝てました。

早く学校に行きたいです。

 

今日は窓際から女の子達の笑い声が聞こえてきました。

学校に行けば、私も輪に入れるのかな・・・。』

ショックだった。

 

学校行かないのは、楽な事だと思ってたから。

ハンデがある分、ひいき目にされて羨ましいって思ってたから。

 

でも彼女の文章には、学校に行けない事の

辛さや普通にみんなと遊びたいって

気持ちに溢れていた。

 

なんだか俺、普通に毎日学校に

通ってんのが申し訳なくなった。

 

だから、連絡帳にこっそり書き込んだんだ。

「いつでも、待ってるからな。体が良くなったら遊ぼうな!」

って。

 
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でも次の日の朝、その子の家に行ったらその子のお母さんに

「もう、連絡帳は届けなくていいの。」

って言われた。

 

あまりにも突然だった。

俺その頃悪ガキで、頭もすげえ悪かったけど、

その子のお母さんの言ってる意味は伝わったんだ。

 

「この子は天国に行ったんだ。もう一緒に遊ぶ事は出来ないんだ・・・。」

そんな事考えたら涙が溢れて、止まらなくって・・・。

 

ずうっと泣き続けてた俺に、

その子のお母さんは連絡帳をくれたんだ。

 

せめて君だけは、学校にも行けなかった

あの子を忘れないで欲しいって。

 

そんな俺ももうすぐ30になろうとしてる。

 

あの時の連絡帳は、

引き出し下段の奥底にずっとしまったきりだ。

 

就職したり、結婚したり、子供が生まれたり・・・。

今まで、本当に色んな事があった。

 

時には泣きたい事、辛い事の連続で、

いっそ自殺しちまおうかなんて思った事もあった。

 

けど、そんな時はいつも引き出しを開けて、

女の子の連絡帳を開くんだ。

 

そして、彼女が亡くなる直前に

書かれた文章を読み返すんだ。

 

『ありがとう、いつかきっと、遊ぼうね。』
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【涙腺崩壊】15歳で妊娠した女子高生に母が語った言葉。高校生の”妊娠、中絶”について深く考えさせられる出来事と内容から学ぶ事

私が高校1年生の15歳の頃の話です。

当時は学校が楽しくて、毎日楽しく過ごしていました。
お付き合いする男性もいて、毎日が充実していました。

ところが、ある日私の日常が一変してしまいます。
生理もこないし、毎日生理前のような症状でおかしいと思い診てもらったら妊娠していたのです。

当時お付き合いしていた男性との間に子供を授かっていたのです。
妊娠に気づいたのは妊娠後約2か月でした。

お付き合いをしていた男性は違う高校の方だったのですが、私が妊娠した事を告げると、何故か音信不通になってしまいました。
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お宅まで伺っても親御さんからは、「いない」の一点張り。
恐らく、私が妊娠したという事実は伏せていたのでしょう。

お腹に子供ができたので会わせてください!と言おうかとも悩みました。
しかし、男性が信用できなくなってしまい、気持ちも冷めてしまったので、もうそれ以上は言わないことにしました。

そんな男性の子供でも、お腹に宿った我が子を私は愛していました。
とても愛おしく、早く会いたい気持ちでいっぱいでした。


中絶なんてしたくない
産みたい


という気持ちが強くなっていました。

どうすれば良いのかわからなくなってしまった私は、母に相談する決心をしました。

私の両親は、私が小学生の時に離婚し、私は母に引き取られました。
思春期の私を女手一つで育ててくれた優しく、強い心を持った母。

そんな母の心を裏切ってしまったようで、後ろめたい気持ちがあったのでしょう。
母を目の前にすると、手が震え、声が出ないのです。

私は、気持ちを落ち着かせて覚悟を決め、ありのままの気持ちを母に伝えました。


現在妊娠2か月である事。
相手の男性は妊娠した事を告げたら音信不通になってしまった事。
その事から男性への気持ちが冷めてしまっている事。
お腹に宿る我が子を愛し、産みたいという気持ちがある事。


全て正直に私の気持ちと事実を母に伝えました。

私は母の答えを色々想像していました。
中絶しろというのか、相手の男性のところに怒鳴り込みに行くのか。

ところが、母の答えは私には想像もできない思いもよらない一言だったのです。

母は、最初は驚いた表情はしていたものの、涙ぐみながら私の話を何も言わずに黙って聞いていました。

私が話を終えた後、しばらくの沈黙が続き重苦しい雰囲気に包まれていました。
するとしばらくして、母が重い口を開きました。
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あんたその子を幸せにできるの?


その母の問いに私は正直に答えました。


わかんないでも幸せにしたいと思ってる。
自信はないけど、私はこの子を愛してる。産みたい!
それだけはハッキリ言えるよ。


すると、私の答えを聞いた母はにっこりと笑い、こう言いました。


そうか、なら産みな。


あまりにも驚きの答えに私は思わずこう言いました。


え?いいの?堕ろせって言わないの?
何で笑っていられるの!?


その質問に答えた母の一言に、私は思わず声を上げて泣いてしまいました。

子供の幸せは親が決めるんやない。
その子が決めるんや。
子供が最初に感じる幸せは生まれたことに感じるんや。
あとはあんたの母の愛があれば大丈夫や。


その母の答えを聞き、私はこの子を産み、幸せにすることを心に誓いました。

「一人では危険だ」と今まで通り母と同居することになりました。

高校も辞め、パートに明け暮れる毎日。
出産後の働けない間も生活できるように節約と貯金もしました。
母も援助してくれたおかげでなんとかやっていけました。

そして、私は16歳になり、とうとう迎えた出産。
幸い大きな問題もなく安産でした。

生まれたのは2559gの元気な女の子。

私は母と同じく女手ひとつでしたが、精一杯の愛を込めて育てました。

お金に余裕もなく、満足におもちゃも買ってあげられませんでした。
小学校の頃、塾に行きたい、バレエを習いたいと言った娘でしたが、当然とても無理でした。
中学校の頃、携帯が欲しいと言っていましたが、とても買ってあげられませんでした。
高校生の頃、遊びたい気持ちを抑えアルバイトし、家にお金も入れてくれました。

娘と二人三脚で必死に生きてきましたが、私は娘の望みを何ひとつ叶えてあげられない「ダメな母親だな」と思っていました。

そんな娘も無事成人式を終え、大人になりました。
先日結婚式も挙げました。

結婚式の前日、娘と結婚式の準備をしている時、娘が放ったまさかの一言に私は泣き崩れてしまいました。

「今まで苦労をかけたな」など考えながら、娘と共に過ごす最後の1日をかみしめていました。
すると、娘は急に改まって私にこう言うのです。


お母さん、私を産んでくれてありがとう!


娘と過ごす最後の1日。
笑って見送ろう、決して泣くまいと思っていましたが、さすがにこの一言には私は泣きながら娘に謝ることしかできませんでした。


ごめんね!ごめんね!ダメな母親でごめんね!

それを見た娘は私を抱きしめながらこう言いました。


お母さんはダメな母親じゃないよ。
私を産んでくれてありがとう。
お母さんの子供に生まれることができて私幸せだよ。


この一言を聞いた瞬間、娘を産む前に母に言われた一言を思い出しました。


子供の幸せは親が決めるんやない。
子供が決めるんや。


私は娘を幸せにできていないと思っていましたが、あの日母が言った通り、娘は私の子で幸せだと言ってくれたのです。

翌日、娘は幸せそうな笑顔で嫁いで行きました。

私のとった行動は正解だったかどうかはわかりません。
しかし、若いうちに妊娠してしまった全ての女性に中絶をする間にもう一度冷静に考えて欲しいと思います。

お腹の子を幸せにできないと勝手に思っていませんか?
お腹の子の幸せって一体何ですか?

もし中絶をしてしまっても誰もあなたの事を責めないでしょう。
しかし、あなたは一生後悔することになります。

ただ、私のように娘が幸せだと言ってくれる可能性がある。
そのことだけでも知っていただけたら幸いです。

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【感動エピソード】黒人に対する日本の帝国ホテルの対応が素晴らしい

日本での「忘れがたい経験」

1936年、黒人運動の指導者デュボイスは、

満州に一週間、中国に10日間、日本に二週間

滞在して、「ピッツバーグ・クリア」紙に

「忘れがたい経験した」と題したコラムを連載した。

デュボイスが東京の帝国ホテルで勘定を

払っている時に、「いかにも典型的な

アメリカ白人女性」が、さも当然であるかの

ように、彼の前に割り込んだ。

ホテルのフロント係は、女性の方を見向きもせずに

デュボイスへの対応を続けた。

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勘定が全て終わると、彼はデュボイスに

向かって深々とお辞儀をし、それから

やっと、その厚かましいアメリカ女性の

方を向いたのだった。

フロント係の毅然とした態度は、これまで

の白人支配の世界とは違った、

新しい世界の幕開けを予感させた。

「母国のアメリカでは決して歓迎

されることのない」一個人を、

日本人は心から歓び、迎え入れたくれた。

日本人は、われわれ1200万人の

アメリカ黒人が「同じ有色人種であり、

同じ苦しみを味わい、同じ運命を

背負っている」ことを、心から理解してくれ

ているのだ。

さらに、この旅で、デュボイスは日本人と

中国人との違いを悟った。

上海での出来事だった。

デュボイスの目の前で4歳くらいの

白人の子供が、中国人の大人3人に向かって、

どくようにいった。

すると、大人たちは皆、慌てて道をあけた。

これはまさにアメリカ南部の光景と同じではないか。

上海、この「世界一大きな国の

世界一立派な都市はなぜか白人の国によって

支配され、統治されている。」

それに対して、日本は「有色人種による、

有色人種の、有色人種のための国」である。

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【閲覧注意】信じられない!?この美女達に隠された秘密。あなたは分かりますか?

この美女の他にもたくさんの美女達が出てきますが、

その美女達にはある秘密があります。

あなたは分かりますか?

 

 

それは何でしょうか?

よぉ~く見てください。

答えは最後に分かります。

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あなたはこの美女達の秘密が分かりましたか?

実は、この美女達は・・・

イスラエル人アーティストのYigal Ozeriさんが描いた絵だったのです!!

この美女たちが本当に絵の中の存在だなんて

もう信じられません・・・

それにしても、リアル過ぎますよね^^

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【涙腺崩壊】女子児童が書いた自衛隊への感謝の手紙

大川小学校の幼い生徒が書いた自衛隊への感謝の手紙
震災では大活躍をした自衛隊、消防、警察の方々ですが、
実は過酷な救援活動において多くの隊員がPTSDで悩んでいる
事実はあまりしれません。
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中には止む無く仕事がつづけられずに退職に追い込まれたり、
また発症を隠している隊員もいます。

瓦礫処理のみならず無残な
ご遺体の収容は過酷だったのでしょう。

ご苦労された隊員の皆様にあらためて
敬意を払いたいと思います。

またこのような障害を持つ隊員の国に
挙げてケアをお願いしたいものです。

さてこの手紙は大川小学校の生徒が一生懸命に
書いて自衛隊に届けたものだそうです。

この手紙に多くの隊員が励まされたそうです。
小さい女子が一生懸命に書いたそうです。

じえぃたいさんへ。げん気ですか。
つなみのせいで、大川小学校のわたしの、
おともだちがみんな、しんでしまいました。
でも、じえいたいさんががんばってくれているので、
わたしもがんばります。
日本をたすけてください。
いつもおうえんしています。
じえいたいさんありがとう。
うみより

石井3曹に封筒を渡した少女は、
名前も告げずに走り去っていった。

少女は、母親と思しき女性の運転する車でやってきて、
偶然近くを歩いていた石井3曹に手紙1 件を渡したのである。

石井3曹は込み上げるものを必死で堪えた。

「胸がいっぱいになりました……。

あの頃は、発災から1か月が経とうとしており、
疲れもたまっていたのですが、あの手紙で、
『明日からも頑張るぞ!』と皆、勇気が湧いてきたのです。

そして自分たちのやっていることが
人々のためになっているんだ、
とあらためて認識しました」

その後、この手紙は第14旅団長・
井上武陸将補の陣取る女川の指揮所に届けられ、
たちまち各派遣部隊に伝わった。井上旅団長は言う。

「手紙を見た時は、もう体中の血が
逆流するほどの思いでした。

『よし、どんなことがあっても全員を捜し出すぞ!』
という思いが漲ってきましたよ。

うみちゃんは、どんな思いでこの手紙1 件を
書いてくれたんだろうと思うと……」

少女が自衛隊に寄せた
『日本をたすけてください』という
切実な祈りに全員が奮い立った。

中には、手紙1 件のコピーを手帳に挟んで
災害派遣活動に励む隊員もいた。
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同県利府町の加瀬沼公園に宿営地を設営した
北海道の第1高射特科群のある中隊指揮所にも、
この手紙のコピーがボードに貼り付けられた。

東日本大震災から49日目にあたる4月28日、
飯野川第二小学校の体育館で、大川小学校の
犠牲者の合同慰霊祭が営まれた。

祭壇には74の可愛らしい児童の顔写真が並んだ。
その中には、いまだ行方不明の6人の児童の写真もあった。

その間も、第14旅団の隊員たちは、
うみちゃんの手紙1件を胸に、
行方不明の児童を懸命に捜し続けたのである。

私の故郷の福島の南相馬で活躍したのは、
陸上自衛隊第一空挺団でした。

彼らも過酷な状況のなか、放射能防護服を
着ながらの活動でした。

缶詰などの戦闘用兵糧のみで、
ほぼ補給なしで奮闘したそうです。

自衛隊最強の隊員たちもさすがに疲労困憊であったと、
前田陸将補からお聞きした事を覚えています。

あの頃記憶が徐々に薄れつつありまが、
国民の皆が忘れてはならない事だと思います。
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【考える】捨て犬の気持ち〜ボクは生きていたかった・・・

 

ボク(犬)は捨てられた。
大好きだったあの人に捨てられた。
けどきっと迎えに来てくれる。
だってボクはとても愛されてたんだ。

いつだって一緒にいたんだ。
ボクが眠るまでず~っと頭をなでてくれたよ。
ボクは生まれてきて本当に良かった、って思ってたんだ。
だけど・・・・

 
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あの人はだんだんボクの顔を見てくれなくなったんだ。
だからボクは、『こっちを向いて!』って、
一生懸命あの人を呼んだんだ。

でも・・・あの人には伝わらなかったんだ。
ボクの気持ち。
あの人は黙ったまま、ボクを車に乗せて山奥にボクを置いて行ったんだ……。
ボクはあの人が見えなくなっても叫び続けたよ。

声がかれて出なくなった時、保健所の人に迷子犬として、
ここ(動物愛護センター)に連れてこられたんだ……。

お金儲けのために子供をたくさん産まされて、
体がボロボロになったから連れてこられた繁殖犬や、
大きくなりすぎた、流行がすぎてもう飽きた、
といって連れてこられた子犬……。

赤ちゃんが生まれたから連れてこられた母犬は、
泣きながら子犬たちにおっぱいをあげてたよ。

飼い主に不要犬として持ち込まれた犬は狭い部屋に追いやられ、
二酸化炭素ガスで苦しみもがきながら窒息死させられてしまうんだ。
皆・・・もういないよ・・・
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ボクみたいに迷子として連れてこられた犬は、
数日間だけ飼い主の連絡を待って迎えに来なければ‥‥窒息死。
お願いです。ボクを、ボクを迎えに来てください!
あんなに楽しかったのにどうして?
『お前は宝だよ』って抱きしめてくれたのになぜ?
あの時ボクは愛されていた‥‥よね?

ボクと過ごした思い出やボクの存在すらも無かったことにしてしまうの?
ねぇ、職員さん、そのボタンを押したらボクは天国に行くの?それとも地獄?
職員さんはため息を一つついて、
ボタンを押した。

もしも最後の願いが叶うなら、
大好きなあの人の腕に抱かれて、
あの人がつけてくれた名前を呼ばれながら死にたかったなぁー。
ねぇ、誰か教えて。

ボクは
ボクは生まれてきちゃいけなかったの……?
・・・さようなら
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【感動実話】東日本大震災の時、ベトナム中が涙した日本人の少年の話

東日本大震災直後、福島県に派遣されたひとりの警察官がいた。

彼はベトナム人の両親をもち、日本に生まれ、
ヒトのために働きたいと帰化して警察官になった。

その彼が派遣された場所は、福島第一原発か25km離れた
ある被災地。震災と原発事故の最も過酷な状況の中で
治安確保のための派遣だった。
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しかし、治安は安定しており、住民の見回りも機能し、
彼は被災者の埋葬と食料分配の手伝いを多忙な
職員に代わって行っていた。

被災者と向き合った初日こそ涙を流したものの、
余りに酷い惨状に泣くことさえ忘れ、ただ呆然と
仕事をこなす毎日となった。

忘れもしない3月16日の夜。

被災者に食料を配る手伝いのため向かった学校で、
彼は9歳だという男の子と出会った。

寒い夜だった。
なのに男の子は短パンにTシャツ姿のままで、
食料分配の列の一番最後に並んでいた。

気になった彼が話しかけた。
長い列の一番最後にいた少年に夕食が渡るのか
心配になったからだ。

少年は警察官の彼にポツリポツリ話を始めた。
少年は体育の時間に津波と地震にあう。
近くで仕事をしていた父が学校に駈けつけようとしてくれた。

しかし、少年の口からは想像を絶する悲しい出来事が語られた。

「父が車ごと津波にのまれるのを学校の窓から見た。
海岸に近い自宅にいた母や妹、弟も助かっていないと思う」
と話したのだ。

家族の話をする少年は、不安を振り払うかのように顔を振り、
にじむ涙を拭いながら声を震わせた。
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悔しさと心細さと寒さで・・・
彼は自分の着ていた警察コートを脱いで
少年の体にそっと掛けた。

そして持ってきていた食料パックを男の子に手渡した。

遠慮なく食べてくれるだろうと思っていた彼が
目にしたのは、受け取った食料パックを
配給用の箱に置きに行った少年の姿だった。

唖然とした彼の眼差しを見つめ返して少年はこう言った。

「ほかの多くの人が僕より、
もっとおなかがすいているだろうから・・・」

警察官の彼は少年から顔をそらした。
忘れかけていた熱いものがふと湧き上がってきたからだ。
少年に涙を見られないように。

まがりなりにも大学卒で博士号をもち、
髪にもしろいものが目立つほどに人生を歩んできた
自分が恥ずかしくなるような、人としての
道を小さな男の子に教えられるとは。

9歳の男の子、しかも両親をはじめ家族が行方不明で
心細いだろう一人の少年が、困難に耐え他人のために思いやれる。

少年の時から他人のために自分が犠牲になることが
できる日本人は偉大な民族であり、
必ずや強く再生するに違いない。

自分の胸の中だけにしまっておくには
あまりにももったいない話だった。

いや、誰かと自分の感動を分かち合いたかった。

彼はベトナムの友人に自分の体験した話を打ち明けた。

ベトナムの友人も感動して祖国の新聞記者に伝えたのだろう。

「Vietbao紙」の記者は次のような記事をのせて、
少年と日本を称賛した。

「彼がベトナムの友人に伝えた日本人の人情と
強固な意志を象徴する小さな男の子の話に、
我々ベトナム人は涙を流さずにはいられなかった。」

「我が国にはこんな子がいるだろうか。」
この記事が大変な反響を呼び、
決して裕福とは言えないが、ベトナム国民からの
義援金が殺到したという。

悲劇と苦難のもとでも失われない、
けなげな日本人の美質と負けない力を、
少年の小さな行為から教えられました。

ほんとうにありがとう。でも・・・
気がかりなのは9歳の男の子のこと。

奇跡が起きて生還した家族と
暮らしていてくれることを心から願います。
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【涙腺崩壊】生まれてわずか2週間でこの世を去った双子の赤ちゃんが教えてくれた大切な事とは?

生まれてわずか2週間でこの世を去った双子の赤ちゃんが教えてくれた大「双子ちゃんです!」
と言われ、やっと理解しました。

私はずっと双子が欲しいと思っていたのでとても嬉しく、
主人と一緒に喜びました。

しばらくして急にお腹が痛くなり、
病院に駆け込みました。

すると
「破水しています!
もう産まれます!」
と。

突然の事で驚いている暇もなく、
そのまま緊急入院。
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そして、出産。

産まれた赤ちゃんは900gの小さな女の子がふたり。

『春菜』『夏凛』と命名。

NICU(新生児特定集中治療室)に入っている我が子。

小さな手で私の指をかすかに握っているぬくもりが、
愛しくてたまりません。

小さく産まれたので当然不安もありましたが
「この子たちは大丈夫。」
と自分に言い聞かせました。

生まれて2週間して夏凛の様態が悪化

夜中、付き添いながら懸命に生きようとしている
夏凛を主人とふたり、見守り続けました。

午前4時。

先生と看護師さんたちが慌ただしくなります。

その後、うつむきながらこちらに近づいてくる先生を見た瞬間、
それだと察し、涙が流れました。
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夏凛は2週間で天使になってしまいました。
私は、ただ呆然として涙がこぼれました。

数時間後、春菜の様態も悪化し、
そのまま息を引き取りました。

涙が枯れるまで泣きました。
寂しくて。悔しくて。悲しくて。かわいそうで。。。

自分を責めました。自分の体を恨みました。
自分も死のうと思いました。

想いをわめくように主人にぶつけました。
「せっかくできた子供なのに。
どうして?」

「二人を連れて
お散歩に行きたかった」

「もっと声を聴きたかった」

「2週間しか
生きられないなんて...。」

「この娘たちは何の為に
生まれて来たの?」
主人は涙をこぼしながら無言で聴いていました。

私は冷たくなったふたりをギュッと抱きしめ、
何度も繰り返し言いました。
「春菜。夏凛。
ごめんね。ごめんね。

丈夫に生んであげられなくて、
ごめんね」

数時間が経って主人が口を開きました。

人の命は全てに意味がある

「前に何かで聞いたけど、
“人の命は全てに意味がある”って。

意味があって生まれて、
そして死を迎えるらしい。

『ママと出会う為に
生まれてきたんだよ』

『ママと出会えて良かった。
ありがとう、ママ』って

きっとふたりが言ってるよ。

なあおまえ、
ふたりを産んでくれて
ありがとうな。」
主人の胸に顔をうずめると、
大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちました。

それから私はふたりの分まで生きようって、
天国のふたりが喜んでくれるような人生にしようって、
幸せを感じ生きようって決めました。

生きるとは生きているとは奇跡だと知った。

愚痴も、不平も、不満も、喧嘩も…
本当に幸せな事だって。

“あたりまえ”なんてない。

私はふたりが生きたいと願ったはずの“今”を生きている。

「生きているとは奇跡」だと教えてくれた双子の赤ちゃん。

二人がこの両親の元で短い間でも生まれたい、
生きたいという願望を持って生まれてきたのなら
ふたりが生きたいと願ったはずの“今”を
精一杯生きて欲しいと思います。

この両親の間に生まれてよかったと思えるように・・・

ネットでの反応

・時間、日数なんて関係ない。
貴女から産まれてきたかったから貴女を選んで産まれてきた。

・めっちゃ泣きました。 春菜ちゃん、夏凛ちゃん、天国でもお元気で..

・子は親を選んで生まれてくる。
本当ですね。
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