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【戦争感動実話秘話】最強の日本兵と戦い勝利した敵兵の涙


元グルカ兵(ネパール人)の証言

我々は世界最強の傭兵だ。
第二次大戦で英軍の傭兵の時、マレー軍を3時間で撃破した。
インド軍は1日で降参させた。

だが、日本の正規軍との戦いは過酷で
一週間不眠不休で戦わされ、我々も半数以上が戦死した。
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これだけの死闘は初めてで、
勇敢な敵軍を尊敬したのはこの時だけだった。

玉砕した日本軍の所に行ってさらに驚いた。
日本軍は貧弱な武器なうえ食料も、
わずかな米しかなく、
日本軍の死体はみんなやせ細っていた。

戦友が死んだ時には泣かなかったが、
敵である死んだ日本人を見て皆泣いた。
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【涙腺崩壊】医師は11才の少年の遺体に深く敬礼。全世界が涙した理由とは・・・

いま世界中で報じられ、話題になっている一枚の写真があります。
手術室から運び出された11才の少年「リャン」くんの遺体に、医師たちが深々と頭を下げている冒頭の写真だ。

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リャン君は、9才の時に悪性の脳腫瘍と診断されガンと闘ってきただが、すでに助かる見込みがないほど悪化し最後の時を待つばかりとなっていた。死期の近づく中、6月6日に彼は最後の願いを口にした。
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その願いとは「自分の臓器を提供したい」だった。

写真は、リャン君の最後の願いを叶える臓器摘出手術を終えて運び出された、彼の『遺体と魂』に医師たちが最大限の敬意を持って、誰からともなく頭を下げている様子を写したものでした。

後日、彼の小学校の教師は取材に「教科書に掲載された物語を読んで、臓器提供のことを知ったんだろう」と語っています。リャン君の将来の夢は、医者になることだったという・・・。

臓器提供を待つドナーに対して、臓器提供者の数が圧倒的に不足している現実は世界的に変わらず、みなさんもご存知だろう。臓器提供に関しては提供者本人だけでなく、残された遺族の気持ちの問題も大きく簡単ではない。

写真の奥で泣いているのはリャン君の母親「李」さん。 リャン君の尊い行いとともに、彼の願いを叶えることを選択した彼のご家族の決断にも頭が下がる思いだ。
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正直に言えば、自分の子供がリャン君と同じ状況になったとしても、私はとてもその最後の願いを受け入れることはできないだろう。しかし、生前から家族とともに臓器提供の可能性について話し、理解を深めるそんな取り組みは初めてみようと思う。

人が変わるには、なにか「きっかけ」が必要なのだろうから…。

【W杯 サッカー特集】カズが「KING」と呼ばれる理由

Jリーグ初代MVPであり、常に日本サッカーを引っ張ってきた”KING・カズ”こと三浦知良。48歳でも現役で活躍している姿は精神的にも肉体的にも人間離れしています。
カズはなぜ48歳となった今でもまだ現役を続けていられるのか?そしてカズが”KING”と言われ続ける所以について少しでも核心に近づける様な記事があったので紹介。
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もともと”KING”と呼ばれるようになった理由は、ドーハの悲劇で知られるアメリカW杯・アジア最終予選(93年)、北朝鮮戦でゴールを決めたカズに対し、中東のメディアが大きな見出しで「KING KAZU」と報じたことからです。日本メディアもそれに乗っかって、カズの事を「キング・カズ」と言い出しました。

しかし、私たちがキングと呼び続けるのには、カズの生い立ちや言動、後ろ姿をみて最大の尊敬の意を評して呼んでいるところが大きい。そんな事を思い知らされる様なコラムです。

サッカー少年。
一人の少年が進路希望欄に書いたのは、「ブラジル」。ブラジルで、プロサッカー選手になることが、少年の夢だった。

担任の先生は、激怒して職員室から追い出した。

サッカー部の先生には、「99%無理」と言われた。

少年は、「1%あるんですね?なら、僕はその1%にかけます。」と答えた。

少年は、15歳でブラジルに旅立った。

ブラジルのユースチームで、こんなことがあった。

少年がサッカーの格好をしているだけで、周りの人間は彼を笑った。

サッカーが下手くそなのは、代名詞のように「日本人」だと言われた。

だが、その少年は死に物狂いに練習を重ね、18歳でプロ契約を勝ち取った。

そして、ブラジルNo.1のサッカー雑誌の表示を飾った。

そして、青年は日本に帰国することを決意した。

次なる夢は、日本をワールドカップに連れて行くこと。

93年に開幕したJリーグ。

青年は、時代の寵児となった。

Jリーグの初代MVPは、青年の名前が刻まれた。

彼は、こう思っていた。
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思い切りサッカーをして、30歳過ぎたら頂点で引退しようと。

94年のアメリカ・ワールドカップ予選、エースとして参加した青年だったが、ドーハの悲劇と呼ばれる、ロスタイムの失点で、日本の初出場を逃した。

青年はその後、ワールドカップに行くための何かを掴むため、日本人で初めて、セリエAに移籍した。

そして、98年のフランス・ワールドカップ予選。

苦しみながら日本は、ワールドカップの出場を決めた。

気がつくと、彼は31歳になっていた。

彼のワールドカップ予選の総得点は、27になった。

だが、ワールドカップ本選の代表に、彼の名前は記されていなかった。

記者会見で、こう話した。

「日本代表としての誇りは、向こう(フランス)に置いてきた。」

その年、チームから戦力外通告を受けた。

彼は、一人考えた。

「誰も、自分の知らないところへ行きたい。」

そして、彼はクロアチアに行くことを決めた。

練習初日、彼の眼に一人の選手が映った。

その動きを見て、「売り出し中の若手かな?」と思った。

しかし、その選手は大ベテランの選手だった。

彼の名は、ゴラン・ユーリッチ。

クロアチアを代表する、名DFだ。

自分より年上の選手が、誰よりも懸命に、誰よりも誇らしくプレーしていた。
こんな質問をしてみた。

「どうして、そこまでやれるのか?」

ゴランは言った。

「サッカー選手とは、年齢に関係なく、常に成長するものだ。低落など存在しない。」

彼は思った。

「どこまでも、走り続けよう。」

2010年、彼はJリーグの最年長出場記録と最年長得点記録を更新した。

ブラジル、日本、クロアチア、オーストラリア。

様々な国でプレーし続け、夢を与え続ける彼に、日本人は尊敬を込めて、彼を「KING」と読んだ。

彼の名前は、三浦知良。

日本サッカーのパイオニアの名だ。

ある雑誌の企画で、ゴラン・ユーリッチから三浦知良に手紙が届けられた。

その中で、ゴランは、三浦知良に1番言いたかったことがあったという。

「日本のマスコミほどには、カズがフランスW杯に行かなかった理由を知らないけれど、その事実は聞いていた。

カズは「監督に呼ばれなかっただけだ」と言っていたけど、その取り乱さない、事態を真摯に受け入れる姿勢に感動したよ。

日本のW杯進出に大きく貢献したのはカズだっていうのに、それでもカズは、派手に抗議することもなかったんだよな。

男だよ。

それでこそ偉大なプレイヤーってもんだ。

ところでカズと俺はその後再びノゴメット(サッカー)のおかげで再会することになる。

今度はJリーグ。

俺は横浜F・マリノス、カズは京都にいたんだよな。

アウェーの京都戦では3-1で勝ったけど、1点を決めたのはカズだった。

カズ、これだけは言わせてくれ。

俺は日本に行ってはじめて、カズという名前が何を意味するのか、カズとはいったい何者なのかがわかったんだ。」引用元:涙が止まらない

心から尊敬します!!
私たちのアイドルであり、先生”KING・カズ”。
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【涙腺崩壊】夫は秘密を知っていた・・・


私には、夫に隠していることがあります。

それはとても大きな問題でとても重要なこと。

でもだからこそ、夫に申し訳のない気持ちと
打ち明けた時の反応を想像すると、どうしても
話せずにいました。

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夫とは、4年前に結婚。

大学時代にバイト先で知り合い、初めは
ただのバイト仲間でしたが、食事に行ったり
バイト先の交友関係などの相談をしている間に
お互い惹かれ合い、交際を開始。

私と夫は周囲からも「友達みたいに仲が良いね」
と言われる程常に笑いあっている仲良し夫婦です。

結婚して4年目の春・・・
私たちに待望の赤ちゃんが出来ました。

子供の様に喜んでくれた夫の為にも、
元気な赤ちゃんを産もうと日々の食事や
健康には一段と気を付けて生活をしていました。

夫は、毎日気を使って炊事洗濯を率先して
手伝ってくれ、少しでも時間があれば、私のお腹に
耳をあてて「早く出ておいで~」なんて赤ちゃんに話しかけていました。

しかし、そんな無邪気にはしゃいで喜んでくれる夫に、
隠し事が出来てしまったのです。

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いつまでも隠し通すわけにはいかないと思い、
全てを打ち明けようと「隠し事があるの」と
夫に切り出したのです。

すると夫は笑みを浮かべ「やっとか・・・」と
驚くことを語りだしたのです。

私は、この妊娠が初めてではなく、前回流産していました。

とても妊娠しづらい体質で、何度か夫と病院へ通い、
不妊治療を続け、やっと出来た待望の赤ちゃんだったのです。

そんな苦悩を共に歩んで来てくれた夫だっただけに
妊娠が発覚した時はすごく喜んでくれました。

そして、毎日お腹に耳をあてて話しかけ、
今か今かと赤ちゃんが生まれるのを心待ちにしていました。

でも実は、すでにその時には私は2回目の流産・・・

お腹の中の赤ちゃんはもう亡くなっていたんです。

申し訳なくて、辛くて夫にまた悲しい思いを
させると思うと、どうしてもいいだせないままでした。

言うタイミングを逃したこともありましたが、
このままだとずるずると日だけが経っていく。

「ちゃんと打ち明けなきゃ」
そう決心して夫に切り出しました。

「ねぇ、私あなたに隠し事があるの。」

「隠し事・・・やっとか。」

え?
意味深な事を言う夫に不思議そうな顔をする私・・・
夫は少し笑みを浮かべて話し始めました。

赤ちゃんの事だろ?
お前が自分で言い出すまで、タイミングもあるだろうから
黙ってたんだ。

ずっとお腹を触りながら、暗い顔をしているお前を知っていたよ。

「もしかしたら・・・」
そう思い、実は昨日俺一人で病院へ行ってきたんだ。

もっと早く気づいてやれなくて本当にごめんな。

「お前の気持ちが全部わかる」とは言わない。
流産した辛さや、体への負担は女性にしか分からないもんな。

そんな簡単に分かる!なんては言えないし、言わない。

でもな、二人の事だから何でも話して欲しいんだ。
これからは。

また、二人で頑張ろうよ。

大丈夫!きっとまた赤ちゃんは俺たちに会いに来てくれるから。

そう優しく微笑みながら話してくれた夫の
言葉を聞きながら、私はとめどなく溢れてくる
涙を拭いました。

あれから2年・・・
今私のお腹の中には、
愛してやまない双子の男の子の命が宿っています。
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人生にちょっとだけ疲れたあなたに贈る「美輪明宏の名言」

美輪明宏さんの名言

【人間関係に関する名言】
人間関係で一番大事なのは、腹八分ではなくて腹六分。夫婦、恋人、親子、仕事関係、すべて腹六分でお付き合いを。親しき仲にも礼儀あり。
清き川に清き水は流れる。心が美しい人と付き合いたければ、まず自分の心を磨くこと。
職場でも家庭でも、付き合いは気品を持って、良い人間同士でいること。君子の交わりは淡き水の如し。

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嫌な思いをすると、やり返したくなるもの。優しさで帳消しにすれば、自分が気持ちいい。
悪口を言われたら柳に風と受け流す。自分が清らかで優しければ「念返し」で悪い念は相手に戻る。
人の悪口を言えば自分も不愉快になる。 嫌な人はどこにでもいます。 見ざる 聞かざる 言わざるが楽。
自分は誤解されやすいと思ったら、言葉が足りているかどうか反省してみる。思いが正確に伝わるように言葉を尽くしてますか?
言葉が足りないのは本を読まないから。美しい言葉に触れ素敵な表現を自分の中にストックする。意思の疎通は言葉ありき。
自分に思いやりが足りない人ほど相手に思いやりを求める。自分の言葉が相手を傷つけていないか、まず反省してみる事。
カスの相手をしている時間なんて、もったいないでしょ。「そんな人たちは、私の人生になんの傷も与えられない」と思える強さを身につけることが大切です。
【人生や運命に関する名言】
野に咲く花にも役目があります。この世に必要でない人はいません。それに気付くかどうか。それが大事なのです。
人生はロマン。自分は不幸だと悩むのではなく、試練を与えられた物語の主人公だと思えば、人生をエンジョイできる。
どんなトラブルが起きても微動だにしない。そんなレベルに達するまで人生の修行は続きます。弱音を吐かず覚悟を決めて。
宿命とは人生の青写真・設計図。心がけ次第で設計変更できるもの。その設計図を自分の意思と力で実現していくのが運命。運命は自分で切り開く。
心が悪くなる事もある。しかし、そこで反省すればいい。その繰り返しで魂は向上していく。
目の前にいる人を救うために何ができるか考える。神様の目をまっすぐに見つめて胸を張れる生き方。それが揺ぎない信念。
人生、いくら扉をたたいても開かないことがある。その時は、神様が自分の内容を肥やすために与えてくれた時間だと思って、知識を育てたりして中身を膨らませることにあててみることね。
おいしくて体に悪いものを食べて病気になるか、まずくても体に良いものを食べて健康でいるか。食べ物も人間関係も同じ。
お父さんの欠点ばかりが目に付くのは、父親として見ているだけだから。お父さんも一人の人間。

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【家族に関する名言】
親が悪口を言い合えばそのまま子供にインプットされる。親が暴力をふるえば子供も暴力をふるう。三つ子の魂百まで。
親が死んでも子供が一人で生きていけるよう、厳しく接するのも愛情。可愛い子には旅をさせよ。
親が子供に恥ずかしくない生き様を見せるのが、何よりの教育。子供は、親の背中を見て育つ。

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故.赤塚不二夫の告別式で白紙を読み上げたタモリの伝説の弔辞 

故.赤塚不二夫の告別式で

「私もあなたの数多くの作品の一つです」

との弔辞を読み上げた。

この弔辞は7分56秒にも及ぶものであり、手にしていた紙を何度も見ながら時折涙声で読んでいたが、

実際にはその紙は全くの「白紙」で、何も書いていなかったとの報道が一部でなされた。
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その伝説の弔辞をご覧下さい↓↓↓

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「食欲でたら食いに来いよ!待ってるぞ!」松本人志が吉本を辞めていく後輩へ送った言葉が「理想の先輩」と大反響!

「待ってるぞ!」松本人志が辞める後輩へ送った言葉が大反響…「理想の先輩」

▼記事によると…

・お笑いコンビ「ダウンタウン」の松本人志(54)が10日、自身のツイッターを更新。事務所を辞めるという報告をしに来た後輩とのエピソードを明かし、大きな反響を呼んでいる。

・このツイートが投稿されると大きな反響を呼び、およそ半日で1万件以上のリツイート、14万件近い「いいね!」が集まった。また、ファンからは「理想の先輩」「事務所にこんな先輩がいたらすごくうれしい」「まっちゃん、リスペクトです」などのコメントが寄せられている。

2018年6月11日 11時4分
http://news.livedoor.com/article/detail/14846019/

↓↓↓

松本人志さんのツイート

吉本を辞めていく後輩が楽屋に挨拶に来た。

うなぎ弁当を勧めたが食欲がないと断られた(笑)

もったいないからオレが食べた。

おい!うなぎ弁当めちゃくちゃ美味かったぞ!

食欲でたら食いに来いよ!待ってるぞ!

 
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ダウンタウンは、浜田雅功と松本人志からなる日本のお笑いコンビ、司会者。よしもとクリエイティブ・エージェンシー 所属。NSC1期生。冠番組を多く持ち、とんねるず、ウッチャンナンチャンとともに、お笑い第三世代として数えられる。 2人とも兵庫県尼崎市出身。
活動開始: 1982年
ダウンタウン – Wikipedia

twitterの反応

 

 

▼ネット上のコメント

・懐が深いのぅ、うなぎの旨味ぐらい深い。

・さすが、やさしさライセンス持ってるだけの事はありますね

・優しいな~ 松本さんには芸能界はいい場所かもしれないけど後輩さんには地獄だったのかもしれない。次の世界で花を咲かして欲しいです。お疲れ様でした。

・辞めても、そんな風に言ってくれる事務所の先輩がいてくれて救われてると思います。良い先輩…😢

・その後輩さんもこれを見て嬉し泣きしてはるかも知れませんね。

・そろそろバイキングの坂上忍による 芸人潰し 止めれないんですか?

・そういえば昔、松本さんは「芸人はみんな運命共同体みたいなところがある」って仰ってましたよね。 やさしくなきゃ笑いは生み出せませんね。 感謝。

・松ちゃんそんな心がある人だった!?

・最後のなんか深い…

・心に、響きますね…

・私もいつか人志さんみたいな先輩になりたい
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【涙腺崩壊】「父親の娘に対する深い愛情に思わず涙するCM」

披露宴もいよいよ終盤。

嫁に行く娘に、父親が捧げたのは・・・

不器用な父親の娘への愛情が伝わってきます。

電車の中では見ない方が、良いかもしれません。

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感動のCMはこちらから↓↓↓

出典元:「株式会社 東山堂 音教事業部のCM」

【感動動画】ヒツジの親子の絆に涙があふれる


ヒツジの親子の心温まるショートアニメです。

子羊を亡くしてから悲しみに明け暮れる母羊。

そんな母羊を心配して、

もうすぐ天国に向かう子羊が最期に取った行動とは・・・

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感動の動画はこちらから↓↓↓

【涙腺崩壊】東日本大震災後に、遺体を拭った警察学校生

警察官の卵として初めての仕事は、
収容された遺体をきれいに拭くことだった。

東日本大震災で甚大な被害が出た宮城県。

人手が足りない県警は警察学校生を現場に
駆り出した。

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髪の泥を拭った女の子の遺体、
母親から差し出された小さな男の子…。

「警察官の仕事の重さを知った」。

厳しい現場を経た“卵”は今、
使命感を胸に、警察官として現場で
不明者の捜索やパトロールを続けている。

震災から3日後の3月14日夕方、
竹谷信宏さん(25)=現巡査=を含む
41人の宮城県警察学校生に教官から
思いもよらぬ命令が下された。

「明日から検視の仕事を手伝ってもらう」。

学校生たちはそれまで、
宮城県名取市の高台にある警察学校に
避難してきた人の世話などに当たっていた。

”覚悟していたが”

竹谷さんは「警察官になった以上、
遺体と接することは覚悟していたが、
まさかこんなに早くとは…。

『遺体はどんな状態なんだろうか』

『苦しそうな表情をしているのだろうか』。

前日の夜は恐怖心で眠れなかった」と話す。

翌日、収容所でいきなり言葉を失った。

最初に対峙した遺体はまだ5~6歳の女の子。

悲しみを通り越してしまうほどの
衝撃を受けた。

厳しい寒さの中、
黙々と水でぬらしたタオルで体と髪に
付いた泥を拭った。

竹谷さんとペアを組んだ警察学校生の
女性は涙をこぼしていた。

検視の手伝いは約半月続き、
70~80人の遺体をきれいにした。

中でも竹谷さんのまぶたに
焼き付いている光景がある。

仕事中に声をかけられ振り向くと、
放心状態の女性がたたずんでいた。

両腕に3~4歳くらいの男の子の
遺体を抱えていた。

「息子なんです。
きれいにしていただけませんか」

やり場のない悔しさを感じながら、
少しでもきれいにしてあげようと丁寧に体を拭き、納棺師に引き渡した。

このとき、
警察官の仕事の重さと
奥深さを感じたという。
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「地元の治安守る」

子供のころに警察車両の展示会で
「かっこいい」と思って以来、
ずっと警察官に憧れ続けた竹谷さん。

地元の大学を出て、
一度は神奈川県警の試験に合格したものの、
「どうしても地元の治安を守りたい」と
宮城県警の試験を受け続けたという。

3月末、警察学校を卒業。

岩沼署地域課増田交番に配属された。

岩沼署は今回の震災で
計6人が殉職するほど
被害が大きい地域だ。

朝7時に出勤し、明るいうちは不明者の捜索、
夜はパトロール、翌日昼過ぎに寮に
帰って寝て、また翌朝7時に
出勤という過酷な毎日が続く。

休日はこれまで1日もなく、
体力は限界を超えている。

それでも、
「住民の方から
『ごくろうさま』
『ありがとう』
といわれると力がわいてくる」。

いつ街が元の姿に戻るのか、
想像もつかないが、

「とにかくやるしかない。
一人でも多くの不明者を見つけたい」

とがれきに立ち向かっている。
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