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【涙腺崩壊】15歳で妊娠した女子高生に母が語った言葉。高校生の”妊娠、中絶”について深く考えさせられる出来事と内容から学ぶ事

私が高校1年生の15歳の頃の話です。

当時は学校が楽しくて、毎日楽しく過ごしていました。
お付き合いする男性もいて、毎日が充実していました。

ところが、ある日私の日常が一変してしまいます。
生理もこないし、毎日生理前のような症状でおかしいと思い診てもらったら妊娠していたのです。

当時お付き合いしていた男性との間に子供を授かっていたのです。
妊娠に気づいたのは妊娠後約2か月でした。

お付き合いをしていた男性は違う高校の方だったのですが、私が妊娠した事を告げると、何故か音信不通になってしまいました。
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お宅まで伺っても親御さんからは、「いない」の一点張り。
恐らく、私が妊娠したという事実は伏せていたのでしょう。

お腹に子供ができたので会わせてください!と言おうかとも悩みました。
しかし、男性が信用できなくなってしまい、気持ちも冷めてしまったので、もうそれ以上は言わないことにしました。

そんな男性の子供でも、お腹に宿った我が子を私は愛していました。
とても愛おしく、早く会いたい気持ちでいっぱいでした。


中絶なんてしたくない
産みたい


という気持ちが強くなっていました。

どうすれば良いのかわからなくなってしまった私は、母に相談する決心をしました。

私の両親は、私が小学生の時に離婚し、私は母に引き取られました。
思春期の私を女手一つで育ててくれた優しく、強い心を持った母。

そんな母の心を裏切ってしまったようで、後ろめたい気持ちがあったのでしょう。
母を目の前にすると、手が震え、声が出ないのです。

私は、気持ちを落ち着かせて覚悟を決め、ありのままの気持ちを母に伝えました。


現在妊娠2か月である事。
相手の男性は妊娠した事を告げたら音信不通になってしまった事。
その事から男性への気持ちが冷めてしまっている事。
お腹に宿る我が子を愛し、産みたいという気持ちがある事。


全て正直に私の気持ちと事実を母に伝えました。

私は母の答えを色々想像していました。
中絶しろというのか、相手の男性のところに怒鳴り込みに行くのか。

ところが、母の答えは私には想像もできない思いもよらない一言だったのです。

母は、最初は驚いた表情はしていたものの、涙ぐみながら私の話を何も言わずに黙って聞いていました。

私が話を終えた後、しばらくの沈黙が続き重苦しい雰囲気に包まれていました。
するとしばらくして、母が重い口を開きました。
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あんたその子を幸せにできるの?


その母の問いに私は正直に答えました。


わかんないでも幸せにしたいと思ってる。
自信はないけど、私はこの子を愛してる。産みたい!
それだけはハッキリ言えるよ。


すると、私の答えを聞いた母はにっこりと笑い、こう言いました。


そうか、なら産みな。


あまりにも驚きの答えに私は思わずこう言いました。


え?いいの?堕ろせって言わないの?
何で笑っていられるの!?


その質問に答えた母の一言に、私は思わず声を上げて泣いてしまいました。

子供の幸せは親が決めるんやない。
その子が決めるんや。
子供が最初に感じる幸せは生まれたことに感じるんや。
あとはあんたの母の愛があれば大丈夫や。


その母の答えを聞き、私はこの子を産み、幸せにすることを心に誓いました。

「一人では危険だ」と今まで通り母と同居することになりました。

高校も辞め、パートに明け暮れる毎日。
出産後の働けない間も生活できるように節約と貯金もしました。
母も援助してくれたおかげでなんとかやっていけました。

そして、私は16歳になり、とうとう迎えた出産。
幸い大きな問題もなく安産でした。

生まれたのは2559gの元気な女の子。

私は母と同じく女手ひとつでしたが、精一杯の愛を込めて育てました。

お金に余裕もなく、満足におもちゃも買ってあげられませんでした。
小学校の頃、塾に行きたい、バレエを習いたいと言った娘でしたが、当然とても無理でした。
中学校の頃、携帯が欲しいと言っていましたが、とても買ってあげられませんでした。
高校生の頃、遊びたい気持ちを抑えアルバイトし、家にお金も入れてくれました。

娘と二人三脚で必死に生きてきましたが、私は娘の望みを何ひとつ叶えてあげられない「ダメな母親だな」と思っていました。

そんな娘も無事成人式を終え、大人になりました。
先日結婚式も挙げました。

結婚式の前日、娘と結婚式の準備をしている時、娘が放ったまさかの一言に私は泣き崩れてしまいました。

「今まで苦労をかけたな」など考えながら、娘と共に過ごす最後の1日をかみしめていました。
すると、娘は急に改まって私にこう言うのです。


お母さん、私を産んでくれてありがとう!


娘と過ごす最後の1日。
笑って見送ろう、決して泣くまいと思っていましたが、さすがにこの一言には私は泣きながら娘に謝ることしかできませんでした。


ごめんね!ごめんね!ダメな母親でごめんね!

それを見た娘は私を抱きしめながらこう言いました。


お母さんはダメな母親じゃないよ。
私を産んでくれてありがとう。
お母さんの子供に生まれることができて私幸せだよ。


この一言を聞いた瞬間、娘を産む前に母に言われた一言を思い出しました。


子供の幸せは親が決めるんやない。
子供が決めるんや。


私は娘を幸せにできていないと思っていましたが、あの日母が言った通り、娘は私の子で幸せだと言ってくれたのです。

翌日、娘は幸せそうな笑顔で嫁いで行きました。

私のとった行動は正解だったかどうかはわかりません。
しかし、若いうちに妊娠してしまった全ての女性に中絶をする間にもう一度冷静に考えて欲しいと思います。

お腹の子を幸せにできないと勝手に思っていませんか?
お腹の子の幸せって一体何ですか?

もし中絶をしてしまっても誰もあなたの事を責めないでしょう。
しかし、あなたは一生後悔することになります。

ただ、私のように娘が幸せだと言ってくれる可能性がある。
そのことだけでも知っていただけたら幸いです。

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【感動エピソード】黒人に対する日本の帝国ホテルの対応が素晴らしい

日本での「忘れがたい経験」

1936年、黒人運動の指導者デュボイスは、

満州に一週間、中国に10日間、日本に二週間

滞在して、「ピッツバーグ・クリア」紙に

「忘れがたい経験した」と題したコラムを連載した。

デュボイスが東京の帝国ホテルで勘定を

払っている時に、「いかにも典型的な

アメリカ白人女性」が、さも当然であるかの

ように、彼の前に割り込んだ。

ホテルのフロント係は、女性の方を見向きもせずに

デュボイスへの対応を続けた。

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勘定が全て終わると、彼はデュボイスに

向かって深々とお辞儀をし、それから

やっと、その厚かましいアメリカ女性の

方を向いたのだった。

フロント係の毅然とした態度は、これまで

の白人支配の世界とは違った、

新しい世界の幕開けを予感させた。

「母国のアメリカでは決して歓迎

されることのない」一個人を、

日本人は心から歓び、迎え入れたくれた。

日本人は、われわれ1200万人の

アメリカ黒人が「同じ有色人種であり、

同じ苦しみを味わい、同じ運命を

背負っている」ことを、心から理解してくれ

ているのだ。

さらに、この旅で、デュボイスは日本人と

中国人との違いを悟った。

上海での出来事だった。

デュボイスの目の前で4歳くらいの

白人の子供が、中国人の大人3人に向かって、

どくようにいった。

すると、大人たちは皆、慌てて道をあけた。

これはまさにアメリカ南部の光景と同じではないか。

上海、この「世界一大きな国の

世界一立派な都市はなぜか白人の国によって

支配され、統治されている。」

それに対して、日本は「有色人種による、

有色人種の、有色人種のための国」である。

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【涙腺崩壊】女子児童が書いた自衛隊への感謝の手紙

大川小学校の幼い生徒が書いた自衛隊への感謝の手紙
震災では大活躍をした自衛隊、消防、警察の方々ですが、
実は過酷な救援活動において多くの隊員がPTSDで悩んでいる
事実はあまりしれません。
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中には止む無く仕事がつづけられずに退職に追い込まれたり、
また発症を隠している隊員もいます。

瓦礫処理のみならず無残な
ご遺体の収容は過酷だったのでしょう。

ご苦労された隊員の皆様にあらためて
敬意を払いたいと思います。

またこのような障害を持つ隊員の国に
挙げてケアをお願いしたいものです。

さてこの手紙は大川小学校の生徒が一生懸命に
書いて自衛隊に届けたものだそうです。

この手紙に多くの隊員が励まされたそうです。
小さい女子が一生懸命に書いたそうです。

じえぃたいさんへ。げん気ですか。
つなみのせいで、大川小学校のわたしの、
おともだちがみんな、しんでしまいました。
でも、じえいたいさんががんばってくれているので、
わたしもがんばります。
日本をたすけてください。
いつもおうえんしています。
じえいたいさんありがとう。
うみより

石井3曹に封筒を渡した少女は、
名前も告げずに走り去っていった。

少女は、母親と思しき女性の運転する車でやってきて、
偶然近くを歩いていた石井3曹に手紙1 件を渡したのである。

石井3曹は込み上げるものを必死で堪えた。

「胸がいっぱいになりました……。

あの頃は、発災から1か月が経とうとしており、
疲れもたまっていたのですが、あの手紙で、
『明日からも頑張るぞ!』と皆、勇気が湧いてきたのです。

そして自分たちのやっていることが
人々のためになっているんだ、
とあらためて認識しました」

その後、この手紙は第14旅団長・
井上武陸将補の陣取る女川の指揮所に届けられ、
たちまち各派遣部隊に伝わった。井上旅団長は言う。

「手紙を見た時は、もう体中の血が
逆流するほどの思いでした。

『よし、どんなことがあっても全員を捜し出すぞ!』
という思いが漲ってきましたよ。

うみちゃんは、どんな思いでこの手紙1 件を
書いてくれたんだろうと思うと……」

少女が自衛隊に寄せた
『日本をたすけてください』という
切実な祈りに全員が奮い立った。

中には、手紙1 件のコピーを手帳に挟んで
災害派遣活動に励む隊員もいた。
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同県利府町の加瀬沼公園に宿営地を設営した
北海道の第1高射特科群のある中隊指揮所にも、
この手紙のコピーがボードに貼り付けられた。

東日本大震災から49日目にあたる4月28日、
飯野川第二小学校の体育館で、大川小学校の
犠牲者の合同慰霊祭が営まれた。

祭壇には74の可愛らしい児童の顔写真が並んだ。
その中には、いまだ行方不明の6人の児童の写真もあった。

その間も、第14旅団の隊員たちは、
うみちゃんの手紙1件を胸に、
行方不明の児童を懸命に捜し続けたのである。

私の故郷の福島の南相馬で活躍したのは、
陸上自衛隊第一空挺団でした。

彼らも過酷な状況のなか、放射能防護服を
着ながらの活動でした。

缶詰などの戦闘用兵糧のみで、
ほぼ補給なしで奮闘したそうです。

自衛隊最強の隊員たちもさすがに疲労困憊であったと、
前田陸将補からお聞きした事を覚えています。

あの頃記憶が徐々に薄れつつありまが、
国民の皆が忘れてはならない事だと思います。
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【考える】捨て犬の気持ち〜ボクは生きていたかった・・・

 

ボク(犬)は捨てられた。
大好きだったあの人に捨てられた。
けどきっと迎えに来てくれる。
だってボクはとても愛されてたんだ。

いつだって一緒にいたんだ。
ボクが眠るまでず~っと頭をなでてくれたよ。
ボクは生まれてきて本当に良かった、って思ってたんだ。
だけど・・・・

 
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あの人はだんだんボクの顔を見てくれなくなったんだ。
だからボクは、『こっちを向いて!』って、
一生懸命あの人を呼んだんだ。

でも・・・あの人には伝わらなかったんだ。
ボクの気持ち。
あの人は黙ったまま、ボクを車に乗せて山奥にボクを置いて行ったんだ……。
ボクはあの人が見えなくなっても叫び続けたよ。

声がかれて出なくなった時、保健所の人に迷子犬として、
ここ(動物愛護センター)に連れてこられたんだ……。

お金儲けのために子供をたくさん産まされて、
体がボロボロになったから連れてこられた繁殖犬や、
大きくなりすぎた、流行がすぎてもう飽きた、
といって連れてこられた子犬……。

赤ちゃんが生まれたから連れてこられた母犬は、
泣きながら子犬たちにおっぱいをあげてたよ。

飼い主に不要犬として持ち込まれた犬は狭い部屋に追いやられ、
二酸化炭素ガスで苦しみもがきながら窒息死させられてしまうんだ。
皆・・・もういないよ・・・
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ボクみたいに迷子として連れてこられた犬は、
数日間だけ飼い主の連絡を待って迎えに来なければ‥‥窒息死。
お願いです。ボクを、ボクを迎えに来てください!
あんなに楽しかったのにどうして?
『お前は宝だよ』って抱きしめてくれたのになぜ?
あの時ボクは愛されていた‥‥よね?

ボクと過ごした思い出やボクの存在すらも無かったことにしてしまうの?
ねぇ、職員さん、そのボタンを押したらボクは天国に行くの?それとも地獄?
職員さんはため息を一つついて、
ボタンを押した。

もしも最後の願いが叶うなら、
大好きなあの人の腕に抱かれて、
あの人がつけてくれた名前を呼ばれながら死にたかったなぁー。
ねぇ、誰か教えて。

ボクは
ボクは生まれてきちゃいけなかったの……?
・・・さようなら
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【感動実話】東日本大震災の時、ベトナム中が涙した日本人の少年の話

東日本大震災直後、福島県に派遣されたひとりの警察官がいた。

彼はベトナム人の両親をもち、日本に生まれ、
ヒトのために働きたいと帰化して警察官になった。

その彼が派遣された場所は、福島第一原発か25km離れた
ある被災地。震災と原発事故の最も過酷な状況の中で
治安確保のための派遣だった。
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しかし、治安は安定しており、住民の見回りも機能し、
彼は被災者の埋葬と食料分配の手伝いを多忙な
職員に代わって行っていた。

被災者と向き合った初日こそ涙を流したものの、
余りに酷い惨状に泣くことさえ忘れ、ただ呆然と
仕事をこなす毎日となった。

忘れもしない3月16日の夜。

被災者に食料を配る手伝いのため向かった学校で、
彼は9歳だという男の子と出会った。

寒い夜だった。
なのに男の子は短パンにTシャツ姿のままで、
食料分配の列の一番最後に並んでいた。

気になった彼が話しかけた。
長い列の一番最後にいた少年に夕食が渡るのか
心配になったからだ。

少年は警察官の彼にポツリポツリ話を始めた。
少年は体育の時間に津波と地震にあう。
近くで仕事をしていた父が学校に駈けつけようとしてくれた。

しかし、少年の口からは想像を絶する悲しい出来事が語られた。

「父が車ごと津波にのまれるのを学校の窓から見た。
海岸に近い自宅にいた母や妹、弟も助かっていないと思う」
と話したのだ。

家族の話をする少年は、不安を振り払うかのように顔を振り、
にじむ涙を拭いながら声を震わせた。
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悔しさと心細さと寒さで・・・
彼は自分の着ていた警察コートを脱いで
少年の体にそっと掛けた。

そして持ってきていた食料パックを男の子に手渡した。

遠慮なく食べてくれるだろうと思っていた彼が
目にしたのは、受け取った食料パックを
配給用の箱に置きに行った少年の姿だった。

唖然とした彼の眼差しを見つめ返して少年はこう言った。

「ほかの多くの人が僕より、
もっとおなかがすいているだろうから・・・」

警察官の彼は少年から顔をそらした。
忘れかけていた熱いものがふと湧き上がってきたからだ。
少年に涙を見られないように。

まがりなりにも大学卒で博士号をもち、
髪にもしろいものが目立つほどに人生を歩んできた
自分が恥ずかしくなるような、人としての
道を小さな男の子に教えられるとは。

9歳の男の子、しかも両親をはじめ家族が行方不明で
心細いだろう一人の少年が、困難に耐え他人のために思いやれる。

少年の時から他人のために自分が犠牲になることが
できる日本人は偉大な民族であり、
必ずや強く再生するに違いない。

自分の胸の中だけにしまっておくには
あまりにももったいない話だった。

いや、誰かと自分の感動を分かち合いたかった。

彼はベトナムの友人に自分の体験した話を打ち明けた。

ベトナムの友人も感動して祖国の新聞記者に伝えたのだろう。

「Vietbao紙」の記者は次のような記事をのせて、
少年と日本を称賛した。

「彼がベトナムの友人に伝えた日本人の人情と
強固な意志を象徴する小さな男の子の話に、
我々ベトナム人は涙を流さずにはいられなかった。」

「我が国にはこんな子がいるだろうか。」
この記事が大変な反響を呼び、
決して裕福とは言えないが、ベトナム国民からの
義援金が殺到したという。

悲劇と苦難のもとでも失われない、
けなげな日本人の美質と負けない力を、
少年の小さな行為から教えられました。

ほんとうにありがとう。でも・・・
気がかりなのは9歳の男の子のこと。

奇跡が起きて生還した家族と
暮らしていてくれることを心から願います。
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【涙腺崩壊】生まれてわずか2週間でこの世を去った双子の赤ちゃんが教えてくれた大切な事とは?

生まれてわずか2週間でこの世を去った双子の赤ちゃんが教えてくれた大「双子ちゃんです!」
と言われ、やっと理解しました。

私はずっと双子が欲しいと思っていたのでとても嬉しく、
主人と一緒に喜びました。

しばらくして急にお腹が痛くなり、
病院に駆け込みました。

すると
「破水しています!
もう産まれます!」
と。

突然の事で驚いている暇もなく、
そのまま緊急入院。
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そして、出産。

産まれた赤ちゃんは900gの小さな女の子がふたり。

『春菜』『夏凛』と命名。

NICU(新生児特定集中治療室)に入っている我が子。

小さな手で私の指をかすかに握っているぬくもりが、
愛しくてたまりません。

小さく産まれたので当然不安もありましたが
「この子たちは大丈夫。」
と自分に言い聞かせました。

生まれて2週間して夏凛の様態が悪化

夜中、付き添いながら懸命に生きようとしている
夏凛を主人とふたり、見守り続けました。

午前4時。

先生と看護師さんたちが慌ただしくなります。

その後、うつむきながらこちらに近づいてくる先生を見た瞬間、
それだと察し、涙が流れました。
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夏凛は2週間で天使になってしまいました。
私は、ただ呆然として涙がこぼれました。

数時間後、春菜の様態も悪化し、
そのまま息を引き取りました。

涙が枯れるまで泣きました。
寂しくて。悔しくて。悲しくて。かわいそうで。。。

自分を責めました。自分の体を恨みました。
自分も死のうと思いました。

想いをわめくように主人にぶつけました。
「せっかくできた子供なのに。
どうして?」

「二人を連れて
お散歩に行きたかった」

「もっと声を聴きたかった」

「2週間しか
生きられないなんて...。」

「この娘たちは何の為に
生まれて来たの?」
主人は涙をこぼしながら無言で聴いていました。

私は冷たくなったふたりをギュッと抱きしめ、
何度も繰り返し言いました。
「春菜。夏凛。
ごめんね。ごめんね。

丈夫に生んであげられなくて、
ごめんね」

数時間が経って主人が口を開きました。

人の命は全てに意味がある

「前に何かで聞いたけど、
“人の命は全てに意味がある”って。

意味があって生まれて、
そして死を迎えるらしい。

『ママと出会う為に
生まれてきたんだよ』

『ママと出会えて良かった。
ありがとう、ママ』って

きっとふたりが言ってるよ。

なあおまえ、
ふたりを産んでくれて
ありがとうな。」
主人の胸に顔をうずめると、
大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちました。

それから私はふたりの分まで生きようって、
天国のふたりが喜んでくれるような人生にしようって、
幸せを感じ生きようって決めました。

生きるとは生きているとは奇跡だと知った。

愚痴も、不平も、不満も、喧嘩も…
本当に幸せな事だって。

“あたりまえ”なんてない。

私はふたりが生きたいと願ったはずの“今”を生きている。

「生きているとは奇跡」だと教えてくれた双子の赤ちゃん。

二人がこの両親の元で短い間でも生まれたい、
生きたいという願望を持って生まれてきたのなら
ふたりが生きたいと願ったはずの“今”を
精一杯生きて欲しいと思います。

この両親の間に生まれてよかったと思えるように・・・

ネットでの反応

・時間、日数なんて関係ない。
貴女から産まれてきたかったから貴女を選んで産まれてきた。

・めっちゃ泣きました。 春菜ちゃん、夏凛ちゃん、天国でもお元気で..

・子は親を選んで生まれてくる。
本当ですね。
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手話で話すカップルを「すげーウケる」と、動画撮影する女性。しかし、横にいた彼氏らしき人が本当に”すげー行動”に出た

手話。

手話は、主に聴覚に障害がある人達が使っている

意思を伝達する重要な手段ですね。

実際に手話で話している人を見た事があったり、

身近に手話を使っている人がいるという人もいれば

テレビなどでしか見た事がないという人も多いのではないでしょうか?

この、手話をめぐって起きた一つの出来事が大きな反響を

呼び、そして数多くの賞賛するコメントや意見を

寄せています。

この発端は、愛知県名古屋市を走る地下鉄車内でおきました。

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ここに乗車していた3人の聴覚障害者が、車内で座りながら手話にて会話していたそうです。

そこに座っている誰もがその3人に対して特に気にとめる事はなく平穏な電車内。

しかし、この後その車内の空気が一変する事となったのです。

この3人が座っていたのは、車両の隅にある優先席。

電車は次々と停車駅を進み、主要駅へと到着した。

そこは大きな主要駅ということもあり、多くの人が

乗車してきました。

大勢の人がホームから車内へと流れ込み、この3人の

優先席付近にも多くの人が詰め寄せます。

そして電車が発車。

しばらくすると、電車の車内に甲高い声が響きます。

スッゲーウケる!

手話とか初めて見たんだけど!!

目の前にいる3人組の聴覚障害者が手話で

会話している姿を見てあざ笑う声。

それは、その目の前に立っているカップルの女性の方でした。

何て酷いことを・・・

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その場にいる誰もがそんな顔をしながら

横目で見ていたそうです。

しかし、この3人にはもちろんこの女性の声は聞こえていません。

手話を続ける3人に対して、この女性はさらに

非常識で酷い行動に出たのです。

「手話とかウケるね!

めっちゃレアじゃん。

動画撮っておこう(笑)」

こともあろうが、手話で話している3人の姿を見て

面白がり、その姿を動画に収めようとしているのでは

ありませんか。

しかし、この後起こる意外な展開により、

彼女がこの3人を動画で取る事はなかったのです・・・

「なぁ、お前そろそろやめてけよ。

それは非常識だろ。

てかめっちゃ失礼なことしてんの分からないの?

それ貸せ!!」

これ注意しながら彼女が今にも動画撮影を

開始しようとしていたスマホを取り上げたのは、

隣にいた彼氏らしき男性。

この素晴らしい行動に、そこにいた

誰もが「おお、いいね!」といった雰囲気。

しかし、彼の本当に

”素晴らしい行動”はこれだけではありませんでした。

目の前で激しく言い合いのように騒いでいる事態に、

さすがに3人も気づいたのかカップルを見上げています。

そして、丁度電車が次の駅に到着した所でした。

扉が開く寸前、この彼氏らしき男性は女性の手をギュッと

握り、空いていた片方の手で3人組に向かって思わぬ行動に出ました。

この男性は、3人組の顔を見ながら、

親指と人差し指をつまむようにして、

それをおでこに付け、その手を軽く下ろしながら

頭を下げました。

そして、女性を引っ張りながら電車を降りました。

恐らくそこにいた全ての人が、その動作が

いったい何を意味しているかを知っていたわけでは

ないと思います。

しかし、この一連の流れから、それが手話で

「ごめんなさい」といった意味である事は、

なんとなく理解できたそうです。

まだ若い彼が、最後にしっかりと”ケジメ”をつけたこの行動

彼達が電車を降りた後、そこにいた乗客が明らかに

”ざわついていた”という事が納得できるような

気がします。

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【感動実話】イジメに耐えながら2年間髪を伸ばし続けた少年。その理由に世界中が賞賛!

出典:today.com

一見女の子のように見えるこの子は、Christian McPhilamyという名前の8歳の男の子。長いブロンズの髪を、なんと2年も前から伸ばし続けていました。

その可愛らしい見た目は同級生から「女の子!」とからかわれたり、イジメのような扱いを受けたこともあったそうです。それでも頑なに髪を伸ばし続けるのは何故だったのでしょうか?

 

きっかけは、6歳のときに見たTVCM

CMは、ガンに悩まされる子どもたちが、抗がん剤治療の副作用で髪の毛が抜けてしまっていることを知らせるものでした。
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出典:childrenwithhairloss.us

「子どもたちへ無料でカツラを提供するために、髪の毛の寄付をお願いします」

そのメッセージを見て、Christianくんは「僕の髪の毛を使ってあげて!」と決意。でもやんちゃな彼の髪は短く、カツラにするには足りません。そこで、髪を伸ばすことに決めたのです。

出典:today.com

これは、伸ばし始めたころの写真。

息子のちょっと変わった行動に対してお母さんは、「この子は、一度目標を決めたらそれを成し遂げるまで、絶対に曲げません。だから私は、息子の夢を応援してあげることに決めたんです。だって、とても素敵なことでしょう」と語っています。通りすがりに「娘さん?」と聞かれても動じることなく、なんてことない対応をして、彼をサポートしていました。

出典:today.com

そしていよいよ髪を切るとき、Christianくんは「いじめられるのは、もちろんイヤだったよ!だけどガンの子たちに僕の髪を使って欲しかったから、ずっと伸ばし続けてきたんだ!」と語りました。

出典:today.com

ずいぶんサッパリした彼の姿は、どこからどう見ても立派な男の子。それも、「とても心優しく、勇敢な」男の子です。

出典:today.com

髪の毛は無事「childrenwithhairloss」に寄付され、サイトで彼の行動が公表されるやいなや、多くの大人たちに驚きと尊敬を与え、たちまちニュースやネットで話題に。

出典:today.com

もう誰も、彼をからかったりなんてしないはず。そしてChristianくんの髪を利用する患者さんはきっと、すごく素敵なパワーが伝わることでしょう。彼やお母さんの行動や心構え、ぜひ私たちも見習いたいですね。

出典:today.com
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【感動実話】6年間ずっと意識不明の花嫁と、花嫁が目覚めるのをずっと待ち続けた新郎との「8年越しの結婚式」

8年前の2007年、岡山にあるアーヴェリール迎賓館で結婚式を挙げる予定だったある新郎新婦がいました。

ところが、挙式の3ヶ月前、新婦が突然の意識不明になってしまいます。

2年間の交際を経て結婚を決意し、挙式の準備を始めた矢先のことでした。

お新郎の尚志さんは、麻衣さんのご両親からも、「もう他のいい人を探したらどう?」といわれます。

それでも麻衣さんの側で回復を祈り続ける新郎。
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尚志さんはずっと諦めず、麻衣さんが奇跡的に意識を取り戻すまで、約6年間も待ち続けたのです。

約6年後、奇跡的に新婦の意識が戻ります。

新郎と家族の支えがあり、新婦は目を覚まします。

意識を取り戻した麻衣さんは、それから約2年リハビリを続け、自分の足でバージンロードを歩けるまでに回復します。

そして晴れて『8年越しの結婚式』を迎えたのです。

その感動的な結婚式はこちらです↓↓↓

出典元:youtube

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【感動CM】実話を元にした感動CM~最高の恩返し~

 

このCMは、ハワード・ケリーさんという方の実話を元にして作られたそうです。

与えれば必ず何かが返ってくるという事が良くわかるCMです。

涙なしには見られない、最高の恩返しの感動CMはどうぞご覧下さい!!

 

出典元:youtube
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与えるという事は最良のコミュニケーションである。

良い言葉ですね!