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日本人の素晴らしさに涙ぐむストイコビッチの感動エピソード

引退を決め、名古屋とレッドスターーとの引退親善試合を終え、

ベオグラードに旅立つ数日前、私(ドラガン・ストイコビッチ)は

家族4人で名古屋のレストランに出かけた。

 

レストランに入っても、誰も振り向かないので、今日は

自分の事を知らない人ばかりなんだろうなと思い、

4人で楽しく会話していた。

 

ところが、食事を終え、立ち上がった途端、

一斉にお店中に拍手の音が鳴り響いた。

 
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一瞬何が起こったかわからずボーゼンとしたが

周りを見回して見ると、皆、笑顔を見せながら、

こちらに向かって拍手しているではないか。

 

しかも、「ピクシーありがとう」という

感謝の言葉を口にして・・・

なんと、この人達は、私たちを気遣って、食事が

終るまで、敢えて、無関心を装ってくれて

いたのです。

 

怪我をして、傷心でやってきた私を助けてくれたのは

むしろ日本の方なのになんという人達なのだろうか

私がいた他の国で、こんなに素晴らしい人達がいただろうか

私たちは思わず涙が出そうになった。

 

本当に日本に来て良かった、と改めて思った。

私はこの日のことは一生忘れないだろう。

 

私たちの方こそ言いたい

「日本のみなさんありがとう」と。

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【Twitterにアップされた手書きの漫画が日本中で話題!!】家事を率先してしてくれる夫のひと言に涙…

usaoさんが投稿した漫画

出典: ツイッターより

一緒に住んで半年が経った夫婦

昨年末にツイッター投稿された1ページの漫画。登場人物は一緒に住んで半年が経った夫婦です。

互いに忙しい毎日を過ごす2人。夜になって一緒に食事をした後、妻が風呂からあがると、夫は食器を洗っています。そして隣の部屋を見ると、洗濯物もたたまれています。

一緒にこたつを囲んでいると、妻の目に涙が浮かんできます。

「私と結婚して損ばっかりでごめんね 余裕がなくて もっとこうしよう こうしようっておもっているのに……せっかく一緒にいるのに」

思わず口をついた妻の言葉に、夫はこう返します。

「損とか得とかで結婚したわけじゃないよ」

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この投稿に対して、「本当にその通りだと思います」「そこに居てくれるだけできっと旦那様は幸せを感じられてますよ」といったコメントが寄せられ、リツイートは1万4千、いいねは5万6千を超えています。

 

小学校の教員をしながら漫画を投稿

この漫画の作者は福岡県内在住のusao(@_usa_ooo)さんです。

小学校の教員をしながら、ツイッターに「usao漫画」を投稿。友人や児童のために描いていた漫画が話題となり、2016年には扶桑社から書籍「usao漫画」も出版されました。

ツイッターでは「#usao漫画」に加えて「#なんでもない絵日記」も投稿。#なんでもない絵日記は日常の出来事を描いたもので、今回話題になっている投稿も、このハッシュタグが付けられています。

この漫画にはどのような思いが込められているのか? usaoさんに話を聞きました。

――今回の話を描こうと思ったきっかけは

ありがとうとごめんねの気持ちを込めて、忘れないように絵日記にしました。

――いつごろの出来事でしょうか

最近ですかね。あ、12月末か。

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言われた時の気持ちは

――「損とか得とかで結婚したわけじゃないよ」と言われた時の気持ちは

よかった……という気持ちと、ありがとう……ごめんねという気持ちです。

――漫画では描かなかったことや、その後のやりとりなどありますか

喧嘩しつつ、仲直りしつつ、色んな山を乗り越えてます。結婚って大変だなと思うんですよ。でも、乗り越えたいと思う。なのに、ありがとうとか、ごめんねとか素直に言えなくて。相手には申し訳ない気持ちです(笑)。

――「#なんでもない絵日記」を描く際に心がけていることは

そのときの空気や気持ちを大事に。usao漫画とは違い、ありのままの自分をたくさん出すようにしています。

――多くの反響が寄せられていることについては

色んな受け取り方があるようで、おもしろく、また驚いています。ありがとうございます。わたしが描いた漫画が、だれかの心の支えや救いになってくれたなら、わたしはしあわせです。

 

【涙腺崩壊】結婚記念日に予約したレストランに現れない夫に電話「いい加減にして!」しかし夫は、「何言ってるんだ?」と、理解不能な事を言い出した‬・・・

結婚当初、夫は絶対に記念日を忘れない人だった。

それは、一年に一度の結婚記念日だけでなく、私達が交際した日やプロポーズをしてくれた日など、事細かに覚えていてくれた夫。

そして記念日には必ず花束を渡してくれていました。

一度も欠かすことなく、記念日を忘れた事なんて絶対にありませんでした。

そんな夫が、約2年程前から豹変してしまったのです。

とは言っても、ある日いきなりというわけではなかったので、やはり女の私は色々と悪い想像を膨らませてしまいます。

 
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浮気してるのかな…

他に好きな女性でも出来たのかな…

私の事嫌いになっちゃったのかな…

こう考えずにはいられない程、ちょうど2年前から夫の様子がおかしくなったのです。

具体的には、私が何かを話してもあまり聞いていない様子だったり、数週間前からデートの約束をしても何故かその日に仕事へ行ったり、前日電話の掛かってきた友人と遊びに行く約束をしたりする様になってしまったのです。

もちろん、最初から夫がそういった人であれば私も全く気になりません。

しかし、最初は違ったからこそ余計に気になり、不安に思うものなのです。

そして極めつけは”結婚記念日”。

 

 

これは絶対に譲れない二人の大事な日。

毎年この日だけは奮発をして、高めのレストランへお洒落をして出掛けていました。

私にとってはもちろん、夫にとっても特別な日。

だったはずが、2年も連続で結婚記念日を忘れられてしまったのです。

それも、2年目に至ってはかなり酷い忘れ方でした。

朝、夫が出勤する前に二人で朝食を食べながらこう話していました。

 

今日何時頃帰れそう?

西麻布のレストラン、19時に予約してあるよ。

あ、今日…?

えっと、18時前には会社出れるから全然間に合うよ!

また終わったら電話入れるね。

朝からその日の結婚記念日を祝うレストランの話をして、待ち合わせも現地でする事に。

私は先に到着したので、お店に入って待っている事にしました。

しかし、待ち合わせの19時になっても夫は現れません。

それどころか1時間後の20時になっても連絡一つないのです。

痺れを切らして、イライラしながら夫に電話を掛けると、すぐに電話に出たのです。

 

 

 

ねぇ、今どこなの?

何で連絡一つないの!?

私もう1時間も一人で待ってるんだけど!

今日の朝19時にレストラン待ち合わせって言って、あなた18時には会社出れるって言ってたじゃない!

もういい加減にしてよ!

「もしもし?」と、あまりにも平然と電話口に出た夫に怒りが爆発してしまい、怒鳴りました。

すると、少し沈黙を経た後に夫はあまりにも奇妙で理解不能な事を言い出したのです。

何言ってるんだ?

俺はもう家にいるけど。

お前どこにいるんだよ?

この夫の理解不能な返答に、返す言葉が見つかりません。

もはや、話す必要も話す気力さえも失ってしまいました。

そのまま電話を切り、レストランを出て一人で帰宅。

すると、夫がさらに追い打ちをかける言葉で出迎えてきました。

 

お帰り!

ゴメン、もしかして今日何か約束してた…?

この言葉に私は愕然。

玄関で泣き崩れてしまいました。

もういい…

もういい。

しかしこの後、夫は自ら思わぬ事をカミングアウトしてきたのです。

完全に脱力した私を見た夫は何も言わず玄関で泣き崩れる私の肩をそっと掴み、悲しそうな顔で静かに話し始めます。

もう限界かな…

ごめん。

俺、お前に隠してる事あるんだ。

 
 
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これを言ってしまったら多分嫌われちゃうだろうし、もう夫婦でいてくれなくなるだろうと思ったら切り出せなくてさ。

俺も自分ではどうしようもないんだ。

でも、そろそろ俺もお前も限界みたいだしちゃんと言うよ。

俺な、若年性アルツハイマーって病気なんだ。

突如カミングアウトしてきた”アルツハイマー”という言葉に、意味が理解出来ず呆気にとられる私。

「は?どういう事?」

話を聞くと、なんと夫は2年以上もっと前から、若年性アルツハイマーの初期症状に気付き一人で病院へ通っていたのです。

本当の初期はそれが一体何なのか分からず、ただの物忘れ程度に感じていたそう。

・今日が何日なのか何曜日なのか分からなくなる

・何故か今までこなせていた決まった作業の仕事に倍以上も時間がかかる

最初はこの程度の違和感でしかなかったそうです。

しかし次第に「絶対におかしい」そう確信へと変わったのだとか。

 

◯会話の途中で、何を話していたのか分からなくなり次の言葉が出ない

◯さっきまでやっていた自分の仕事や行動が分からなくなる

◯同じ話や内容を繰り返してしまう

夫に全てを打ち明けられ、私は少し過去を思い出してみました。

それまではあまり気にも留めなかった事ですが、こう言われてみると夫の言動に思い当たるふしがいくつもあったのです。

ただ、それがまさか若年性アルツハイマーという病気だなんて想像もしませんでしたし、私はこの病気の病名すら知りませんでした。

夫からのカミングアウトを受け、その後私も病院へ付き添い、医師の先生に色々な問題や今後の課題、障壁をしっかり説明受けしました。

その帰り道、夫が初めて弱々しく細い声でこう訊ねてきます。

こんな俺といるの嫌だろ?

迷惑かけるし…

離婚、しても大丈夫だから。

この言葉に、私はハッキリと即答。

ダラしない事言わないで!

私は絶対あなたとは別れません!

でも…

”結婚記念日はこれからデッカイ画用紙”に書いてリビングに貼付けますからね!!!

私は、若年性アルツハイマーの夫と生涯共に歩んで行く決意です。

————————————
引用元:https://youtu.be/Y9uynZhi6Fw
画像:写真AC
 
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【涙腺崩壊】高校の合唱祭で全員がサングラス姿で登壇。その行動の理由に涙する。

沖縄県宮古島市にある県立宮古高校。先月行われた合唱祭で、3年生のあるクラスが「全員サングラス姿」で歌いました。格好つけたかったわけではありません。クラスには子宮頸(けい)がんワクチンの副反応とみられる症状で光に敏感になり、サングラスが手放せない仲間がいます。「1人だけサングラスは嫌だろうと思って」。一緒に舞台に立つために、クラスメートが提案して実現しました。
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「15の夜」を熱唱

9月25日、宮古島市のマティダ市民劇場で行われた宮古高校の合唱祭。あるクラスの35人がサングラス姿で登壇し、尾崎豊さんの「15の夜」を熱唱しました。見た目だけでなく、尾崎さんをまねてセリフを語る指揮の男子生徒のパフォーマンスもあって、会場は盛り上がりました。

子宮頸がんワクチン接種後に苦しんでいる女子生徒は「みんなと歌って超楽しかった。楽しい思い出がつくれて良かった」と振り返ります。

尾崎豊さんのセリフをまねて笑いを誘った指揮の男子生徒

出典: 宮古高校提供

子宮頸がんワクチン接種後に

女子生徒は中学2年生だった2011年に子宮頸がんワクチンを接種。次第に頭痛や虚脱感といった異変があらわれ始め、高校に入ってからは手足のしびれなどで倒れ、保健室に運ばれることが増えました。

プールの授業中に過呼吸を起こして溺れ、呼吸が止まったり、ロードレースの練習後、けいれんが続いて意識を失ったり。体調不良や入院もあって、なかなか学校へ通えなくなり、登校できても保健室で過ごすことが多くなりました。光に対しても敏感になり、学校でもサングラスが手放せません。

しかも、気づいたのは接種から3年以上がたった今年1月。ワクチンの副反応を紹介するテレビのニュース番組を見たことがきっかけでした。

放課後、生徒から提案が

宮古高校では毎年、体育祭、文化祭、合唱祭のどれかひとつを順番で開催しています。今年は合唱祭の年。当初、女子生徒は欠席するつもりでしたが、クラスメートに誘われて練習から参加しました。

放課後の練習を終えた後、「サングラスで本番出るのは嫌だな」とこぼすと、隣にいた別の生徒が「じゃあ、みんながサングラスで出たらいいんじゃない」と声をかけました。すると周りの生徒たちも「いいね、曲の雰囲気に合ってるし」と応じました。

でも、女子生徒はためらいました。「きっとサングラスつけたくない人もいるはず。それに、持ってない人は買わなきゃいけない。私のために無理しないで」。そう話すと、仲間たちはこう返してくれました。「大丈夫だよ。合唱祭終わったら絶対に『やってよかった』ってなるから」

これを受け、担任の女性教諭は学内で事情説明に回りました。「私がしたことはこれだけ。女子生徒を練習に誘ったのも、サングラスをつけようと動いたのも、ぜんぶ生徒たち。リーダーがいるわけでもなく、おとなしいと思っていた生徒たちですが、しっかり成長していました」

合唱祭の様子

出典: 宮古高校提供

 
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「この一言で全部チャラになった」

両親や祖父母から借りるなどして、当日は全員がサングラスを持参。登壇すると一瞬どよめいたものの、曲が終わると会場は大きな拍手に包まれました。

本来、保護者は観覧できませんが、女子生徒の母親は特別に許可をもらって様子を見ていました。体はつらそうでしたが、笑顔を絶やさない我が子。終わった後、クラスメートと握手しながら、こう声をかけられていました。

「ありがとう、おかげで一つになれた。最高のクラスになったね」

その言葉を聞いた女子生徒は「この一言で、大変だったことが全部チャラになった」と思ったそうです。

これから女子生徒は学校を休んで治療に専念します。「ワガママを言うと『接種前に戻りたい』『高校生活をやり直したい』と思います。でも、その思いはかなわないので、早く治療法が確立され、元気な身体に戻りたいです」

合唱祭をやり遂げたクラスには次の目標があります。「みんなで一緒に卒業する」。女子生徒は今日も闘っています。

◇ ◇ ◇

<母親のコメント>

日々いろんな症状があり、つらい思いしている中でも「私のためにゴメンね」と経済的な心配をしたり、島外での治療のために「きょうだいに寂しい思いをさせている」と家族の心配をしたり、そんな娘です。今は高校の先生方や友達の理解・支えがあり、休みがちではありますが、何とか頑張って登校しています。体力的には辛いと思います。娘以上に副反応に苦しんでいる子は、たくさんいます。早急に治療法が確立されることと、国からの救済を願っています。そして、この記事を読んで、原因が分からずに苦しんでいる子が副反応のことに気づき、前に進むことが出来るならうれしいです。

◇ ◇ ◇

<子宮頸がんワクチン>

子宮頸がんは、性行為によるヒトパピローマウイルス(HPV)感染が主な原因とされる。2010年11月にワクチンに対する公費助成が始まり、13年4月、小6~高1の女子を対象に予防接種法に基づく定期接種となったが、接種後にけいれんや痛みなどを訴える人が相次いだ。

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【涙腺崩壊】ダウン症のスタッフを「のろま!」と罵った客に店員がとった対応が格好良すぎる

ある学生が、寮近くのスーパーに買い物に行きました。そこではいつもダウン症の男性がレジを通った商品を袋につめる仕事をしています。彼女はいつものように買い物を済ませてレジに向かいましたが、その日はとんでもないことに巻き込まれてしまったようです。そのときの様子を次のように説明してます。

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「(私が利用しているスーパーでは、障害を持った優しそうな
お兄さんが袋に商品をいつも詰めてくれる。今日も彼が私が買ったものを袋に入れてくれているところだった。)

袋詰めのお兄さん:『これで、いいですか?』

(そう言って彼が持ち上げた私のキャンバスバッグには、穴があいていた。)

私:『あ、別の袋があるからそっちにしてください。ありがとう』

私の後ろに並んだの女性:『はやくしてよね!』

私:『お金も払い終わってますし、もうすぐ終わるから』

後ろの女性:『あら、あなたもこの男性みたいに頭が遅いのかしら?
あなたたちのような特殊な人たちは、普通の人と関わらないでほしいわ』

袋詰めのお兄さん:『(少し気分を悪くした様子で)奥さま、彼女の頭は悪くないですよ。この人は大学に通っています。(そう言うと、私が着ていた大学のロゴが入った私のスウェットパンツを指差して)すごく頭がいいんですよ、この人』

私:『彼もここでは一番袋詰めが上手なスタッフなんですよ。

とても丁寧なんです。丁寧なのは商品を扱う時に大切ですよね』

(私の買い物は袋にきれいに詰めらた。彼は私が寮に歩いて帰るのを知っていたから、そのまま袋を持ち上げて肩にかけるのを手伝ってくれた。)

後ろの女性:『なによ、車まで運んであげたらどうなの?ひどいわね、ここのスーパーのマネージャーに直接文句を言ってやりたいわ』

私:『おばさん、私はすぐそこに住んでいて、いつも歩いて帰るからいつもこういう風にしてもらってるの。マネージャーにいったい何ていうつもり?このスタッフは私が必要してないサービスを怠りました、とか?」

袋詰めのお兄さん:『(私に向かって)今日もよい一日を!』

(すると、ここまで一言も口にしていなかったレジの人が落ち着いた様子で私の後ろにいた女性を見つめてこう言った。)

レジの人:『大切な従業員だけでなく、常連のお客様にまで向けられた差別的な発言に対して、スーパーはあなたに対するサービスを拒否します。このまま商品ここに置いて出て行ってください。後で私どもが棚に戻しておきますので』

(これにブチ切れた女性は、大人しく引き下がることはなく、

なんと暴れだしてしまった。

 

彼女が力ずくで従業員取り押さえられている間、

私や他の客たちをタバコカウンターの後ろまで避難させてくれたのは、

袋詰めのお兄さんだった。

結局、警察が来るまでそこで待つことになった。)

 

袋詰めのお兄さん『(心配そうな様子で)来週もまたきてくれますか?』

(もちろん!彼の笑顔を見れてその日はずっとハッピーだった。)」

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その日、何が女性をイライラさせてしまったのかは分かりませんが、差別は醜い行為です。毎日スーパーの袋詰めの作業をする彼がこのような客をいつも相手にしているのかと考えると、心が痛むと同時に、心から尊敬せずにはいられません。スーパーの従業員たちは、彼の本当の良さを理解してくれているようですね。

「愛してる」と言うのが恥ずかしいので、手紙を渡したら嫁が消えていた・・・

まず前提として、俺は嫁にほとんど愛の言葉なんぞ送らん。
恥ずかしがり屋なんだよ。
それで、結婚した当初は毎日家で談笑していた。まあ当然だけど。
でも、3年くらい前に会社の企画が色々相重なって、サツ人的スケジュールになっていたことがある。
その時は家に帰ると、飯を食う、風呂入る、寝るという動作しかしてなくて、それを30分くらいで済ましてたからほとんど会話出来てなかった。
正確には、疲れすぎて会話すら出来なかった。
嫁もかなりストレスが溜まってたみたい。
それが終わってからも、なんか夫婦の会話がかなり減ったんだ。
俺的には倦怠期って奴かな?みたいに捉えてたけど、嫁はそうじゃなかった。ぶっちゃけ、内部崩壊寸前だったみたい。
これが前置き。

 
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今から半年らい前、会社内既婚者の中で、配偶者に愛してると言ってみるってのが流行った。(発端はチャネラーの男)
それで仲がいい上司と話してた時も、当然その話題になった。
なんでも上司は、言葉で言うのが恥ずかしいから、手紙を家の机にそっと置いて行ったらしい。
それでも効果てきめんだったとか。
おお!それなら俺も出来る!!と思い立った俺は、休憩時間に手紙を書いてみた。

嫁へ。
いつも仕事の時に、家のことを全力でやっていてくれて助かってます。
家事全般が全く出来ない俺は、嫁に怒られてますね。
でも、口では言えないけど、心の中ではいつも感謝しています。
感謝してもしきれないほど、尊敬をしています。
今度仕事の休みをもらえます。
その時に、前に見たいと言っていた映画を二人で見て、おいしいご飯を食べようか。
僅かばかりだけど、頑張り屋さんの嫁への感謝の気持ちです。
苦労ばかりかけているけど、俺には嫁が必要だし、今の俺があるのは全て嫁のおかげです。
いつもありがとう嫁。心から愛してるよ。

内容はこんな感じ。作りながら一人悶えてた。
これを封筒に入れて、映画のチケットを事前購入し同封。
準備が整い、さっそくその日は仕事を早めに切り上げて嫁に電話した。
俺「早く終わったから帰るね~。あ、ちょっと話があるから~(*´ω`*)」
嫁「・・・そう、ちょうど私も話があるの」
俺「あ、そうなんだ。とにかく帰るね~(*´ω`*)」
こんな感じで切断。
心なしか、嫁の声が暗かったのを覚えている。
しかし当時の俺は「嫁、きっと喜ぶぞ~」と地面から10㎝ほど浮くくらい浮かれながら帰宅した。

 

家に帰ると、いつも居間にいる嫁が、なぜか台所のテーブルに座ってた。
しかし俺はウキウキしながら嫁に声をかける。
俺「ただいま~(*´ω`*)」
嫁「・・・お帰りなさい」
俺(んん?ちょっと暗いぞ?)
そうは思っても、俺はしっかりと計画を実行した。
俺は自分でも分かるくらい気持ち悪いくらい笑いながら嫁に封筒を差し出す。
嫁は怪訝な目で封筒を手に取った。それでも「“後で”読んでみる」って言いながら机に置く。
そこで俺、渡したら自分で書いた手紙を思い出し、無性に恥ずかしくなってきた。
だから逃げるように嫁に軽く言葉を告げ、近くのコンビニまでタバコを買いに行った。
買う時も、なんか一人で色々妄想しながら浮かれまくり。
それで家に帰った。

そしたら、嫁はどっかに出掛けてた。
そう言えば話があるとか言ってたとようやく思い出した俺。
ふと気が付くと、嫁が座っていたテーブルの上に茶封筒があった。
表には、“俺くんへ”と書いてあった。
なんだろうかと中を見たら、手紙が入ってた。
そん時は、「おお!嫁とフーチャリングしてる!!」とか呑気に考えてた。
それで、手紙を読んでみた。内容はこんな感じだった。
 
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俺くんへ。
まず、こういう形でしか伝えられないことを謝ります。
俺くんと出会った時は、毎日が楽しかったです。
結婚してからも、家の中はいつも明るく、私は本当に幸せでした。
でも、ここ数年は会話が減り、重い空気が漂っていました。
それでも俺くんを信じようと思ったけど、俺くんは何も言ってくれません。
会話もなく、ただ時間だけが過ぎていく日々。
私には、それが耐え切れなくなりました。
私達は、一度距離を置いたほうがいいのかもしれません。
だから、私も一人で今後を考えてみます。
もし俺くんに私への愛情がなくなっているなら、そう言って下さい。
その時は、私は何も言わずに離婚に応じます。
嫁より

俺、それ読んだ瞬間(*´ω`*)な顔から、一気に( ゚Д゚)に変わって固まってしまった。

 

 

それからしばらく呆然と立ってた。
もう一度読み返したけど、やっぱりそれは、嫁からの別居宣言。
俺、また呆然とした。
頭は絶賛混乱中。
でも、思い当たる節はけっこうあった。
確かにあのサツ人的スケジュール以降は会話も減ってたし、なんか不機嫌な嫁に積極的に話しかけるのも控えてた。
気を使ったつもりでそっとしてたのが、かえって嫁を追い詰めてたと思い知った。
それからしばらく立ち尽くしてたけど、なぜか急に思い立った。
「俺も出ていこう」と。
自分でも何でそう思ったのか分からんけど、なんか無性に家にいるのが嫌になった。とにかくすぐにでも家を出たかった。

それですぐに会社の上司に連絡。
「なんだ?嫁に逃げられでもしたか?www」と冗談を言って来る上司に「そうっす・・・」と答えると、電話口で上司が慌てまくってた。
とりあえず、3日程休みを貰った。
そっからはよくあんまりよく覚えてない。
駅までフラフラと歩いて、よく分からん駅の切符を買って、電車に乗ってた。
なんかよく頭が働かない中で、ぼけーっと電車に釣り下がった広告見てた。

 

 

そっからいくつか電車を乗り継いだ。
乗り継いだというか、駅に止まって、そのプラットホームに止まってる他所行きの電車を見たら、何も考えずに乗り換えてた。
結局、終電近くまで電車に揺られ、聞いたこともない駅に降り立った俺。
乗り越し料金を精算し、初めての街をフラフラと歩いた。
頭の中では嫁との生活を思い出していて、ニヤニヤしたり泣きそうになったり、自分でも良く分からん状態だった。
その夜は公園のベンチで寝た。

 

 

翌朝、携帯の着信音で目覚める。
見れば嫁から凄まじいほどの着信があってた。
でも俺、ディスプレイに嫁の名前が映ってるのをぼーっと見て、これまたなぜか携帯を逆パカ。(そん時はガラケーだった)
そのまま近くの空き缶のゴミ箱にポーイした。
またフラフラと歩き始めた。
どこへ行きたいとかは全くなし。ただ目の前にある道を黙々と歩く感じ。
そしたら、そのうち山の袂の結構な田舎に入った。
田んぼ道を歩いていると、足を踏み外してすっ転び、田んぼに落ちる。
田んぼは雨水かなんかが溜まってて、俺泥だらけ。

なんか笑えてきて、そっから一人ヘラヘラ笑ってた。はたから見たら基地外だっただろう。
そんな俺に、「あんた、何してんだ?」と声がかかる。
見れば農作業してた感じの服装の爺ちゃん婆ちゃんが俺を見てた。
すみませんと謝って、再び歩こうと立ち上がると、爺ちゃんから止められる。
なんでも、そんな恰好の人を放っておけないとかなんとか言ってた。
そっから、なぜか老夫婦の家に行く。

 

 

爺ちゃんの家で、風呂に入るように言われた。
断ると爺ちゃんに「人の好意は何も言わずに受けろ」と怒られる。
すみませんと謝って大人しく風呂に入る。
上がると服と暖かい緑茶が用意されてたから、俺素直に着替えて飲んだ。
そしたら、婆ちゃんが神妙な顔つきで何があったかと聞いてきた。
たぶん、吐き出したかったんだと思う。
初めて会ったはずのその夫婦に、洗いざらい全部話した。
爺ちゃんたちは何も言わずに聞いていた。
話しながら、なんか無性に泣けてきて泣きまくった。
しばらく泣いたら、爺ちゃんが俺に言ってきた。

夫婦と言うものは、時にぶつかるもの。
その時に大切なのは、相手に向き合うことだ。
こう言うのもなんだが、今のアンタは色んなことから逃げている。
それでは本当に言いたいことは伝わらないし、手遅れになった時に後悔しかしない。
私も婆さんとよくケンカをした。
でも、その度にじっくり話して二人で解決してきた。
夫婦は年齢に関係なく、相手とは通じるものがある。
しっかりと相手と話せば、きっと相手にもアンタの気持ちが伝わるし、相手の気持ちも分かるはずだ。
そのお茶を飲んだら、奥さんのところに帰りなさい。
そして、後悔しないようにとことん話し合いなさい。

だいたいこんな感じの内容。
それ聞いて、俺はまた泣いた。
ちなみに、後から知ったけど、その爺さんは元学校の先生だったらしい。

 

 

外はもうすぐ夜だったので、その老夫婦が家に泊めてくれた。
あったかい飯と布団を用意してくれた。
至れり尽くせりって感じ。
それで翌朝、爺ちゃんに駅まで送ってもらった。
そっから丸一日かけて、自宅に帰った。
自宅に帰ると、なんか嫁が帰ってた。
テーブルに座って一人で泣いてた。
それで玄関を入った俺に気付くと、嫁が更に泣きじゃくって猛烈な勢いで俺に抱き付いてきた。
ひたすら「ごめんなさい」って泣いてた。
嫁が実家に帰って一泊した翌朝、俺からもらった封筒を思い出して開けてみたらしい。
そこでようやく、俺のパルプンテが届いたみたい。

 

 

聞けば、両親、義両親が総動員で俺を探してて、見つからないから捜索願いって段階だったらしい。
俺は両親に凄まじく怒られた。
義両親にも頭を下げた。
そっから爺ちゃんに言われたとおり、嫁とひたすら話し合った。
そこで、嫁がどれだけ寂しかったかがよく分かった。

翌日、嫁と一緒に老夫婦の家にお礼を言いに行った。
嫁と仲直りしたことを言うと、自分のことみたいに驚いていた。
そこで、婆ちゃんにこそっとどうしてあそこまでしてくれたのかを聞いてみた。
何でも、昔爺ちゃんが教師だったころ、とある生徒が色んな理由で自害したらしい。
その時に爺ちゃんは激しく後悔して、俺を見かけた時の顔が、その生徒の顔とかなり似ていたとか。
つまり爺ちゃんは俺が自サツすると思い、何とか引き留めようとしたらしい。
はたから見たら基地外だと思ってたけど、はたから見ると自サツ企図者だったようだ。
何度も爺ちゃん婆ちゃんに頭を下げて、俺達は帰った。

 

まあそれから別居はなくなったし、俺と嫁の夫婦仲はそれまで以上に良くなった。
おかげで半年経った今でも毎日ラブラブ状態。
あれから俺は、極力嫁と色んな話をするようにしている。
嫁もまた、俺に色んな話をしてくる。
あの日ラブレター作戦を決行していなかったら、今頃どうなってたか分からん。
あのおかげで、俺と嫁はやり直せたと言っても過言じゃないだろうし。
とにかく、結果として俺のパルプンテはいい方向に作用してくれたわけだ。

ちなみに、嫁の実家に住む嫁妹が後日こそっと教えてくれた。
朝不機嫌そうな顔をしてた嫁が、俺からの手紙を見た瞬間にボロボロ涙を流して、とても大事そうに手紙を抱きかかえながら「私も愛してます」って泣き叫んでたとか。
それは俺は知らないことになってる。www
 
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国際問題一歩前の事件をたったの一言で美談にした、 海上自衛隊のユーモアに世界が騒然!!

2000年7月4日のこと。

20世紀最後のアメリカ独立記念日を祝う
洋上式典に参加するため、世界各国の帆船170隻、
海軍の艦艇70隻がニューヨーク港に集まった。

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翌日の5日にイギリスの豪華客船「クイーンエリザベス7号」
が入港してきたが、折悪しくも2ノット半の急流となっていた
ハドソン河の流れに押された巨大な客船は、あれよあれよと
言う間もなく、係留中の我が海上自衛隊の護衛艦
「かしま」の船首部分に接触してしまった。

 

真っ青になるクィーンエリザベス号の乗組員。

 

相手は「軍艦」、事と次第によっては国際問題
にもなりかねない事態。

 

着岸したクィーンエリザベス号からすぐさま、
船長のメッセージを携えた機関長と一等航海士が
謝罪にやってきた。

 

謝罪を受けた当時の「かしま」
艦長:上田勝恵一等海佐(旧海軍で言うところの大佐)は
こう返答した。

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「幸い損傷も軽かったし、別段気にしておりません。
それよりも女王陛下にキスされて光栄に思っております。」

 

その時、ハドソン河に終結していた
他国の船乗りの間で、この逸話は口から口へと
語られ、ニューヨークだけでなく、世界中の
船乗り達にも伝わり、ロンドンにも伝わって
「タイムズ」や「イブニング・スタンダード」も
記事にし、この日本のネイバル・オフィサーの
ユーモアのセンスを評価する声が高かったそうです。

 

このエピソードを紹介した阿川弘之氏も

「良き時代の帝国海軍の”ユーモアを解せざる
者は海軍士官の資格なし”の心構えが戦後生まれの
海上自衛隊のオフィサーにも受け継がれたようだ」

 

と、喜んでいたとの事。

 

 

常日頃から心身ともに鍛錬を怠らない自衛隊。

紳士としても一流のマナーを身につけているんですね。

 

洗練された艦長の一言に感動しました。

同じ日本人として、
艦長のような器の大きな人になりたいですね。

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【涙腺崩壊】男手ひとつで育てた娘のある授業参観での出来事に目頭が熱く・・・

娘が一人。

嫁は娘が一歳の時に、
事故で嫁の両親と共に他界。

俺の両親も俺が高校時代に他界していた。

 

生活は何とかなったし、
会社内の保育園があって残業も出来た。

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一人暮らしが長かったので
家事も問題なかった。

 

なので、うちは大丈夫だと思っていた。

娘の小学校の授業参観に行くまでは。

 

まずクラス全体を見て「あれ?」と思った。

 

うちの娘だけ色味が暗い・・・

 

明るい色が服にも、文具にも、
サブバッグにも無い。

 

神も他の女の子は、可愛く結っていたり、
リボンやカチューシャをしているのに、
うちの娘はおかっぱ。

しかも古いおかっぱ。

まずい、やばい。って思った。

 

恥を覚悟で、保護者会の後でまわりの
お母さん達に、子供服や小物について質問しました。

 

うちの子の飾り気のなさを気にしてくれていた人が
沢山いて、でも口出ししたら悪いと思って言い出せなかった
と言ってくれた。

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髪もほとんどの子は美容院に行っていた。

俺は自分で切っていた。

カチューシャ・バレッタと言う言葉も、
このとき初めて知った。

 

教えて貰った洋服屋に娘を連れて行った。
明るい色ばかりの、キラキラした飾りや、

ハートや星でいっぱいだった。

好きな服を好きなだけ選んでいいよ、
と言ったら娘は飛び上がって喜んだ。

今まで近くのスーパーの二階で買っていた服とは
値段もデザインも全く違った。

 

微妙な年の娘に、今まで惨めな思いを
させてたんだなと泣きたくなった。

 

まわりの「お母さんがいる子」はかわいい服を
着て、なのにうちの娘は・・・って。

 

大きな袋にいっぱい服を買って、
そのまま靴屋(これも近くのスーパーの中で
買っていた)とサンリオやキティショップに行った。

 

車の後部座席もトランクも
買ったものでいっぱいだった。

 

家に帰っても娘の興奮はおさまらず、
買ったものを全部身に着けて
ファッションショーになった。

 

ちゃんとしているつもりだった、
不自由はさせてないつもりだった
けど全然駄目だった。

 

娘のキラキラした笑顔を見て反省した。

男親じゃ分からない事ってあるよ。
娘の神がもう少し伸びたら、
美容院に連れて行く。

 

 

確かに男親だけでは分からない事、
たくさんあると思います。

でも気づいてあげられた。

恥を忍んで他のお母さんたちに聞いた。

 

それだけでも十分素敵なお父さんですよね!

 

娘さんもそれまでおねだりや、
文句を言うこともなかったのは、
苦労して自分を育てているお父さんの
姿をずっと見てきたからなのでしょうね。

とても素敵な父娘愛に胸が熱くなりました。

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【涙腺崩壊】家族みんなが泣き崩れた、家出していた飼い犬の驚きの行動とは・・・

岩手県のとある家族に起きた、感動の実話。

その家族が飼っていた犬が、突然姿を消しました。

頑張って捜索をしても、一向に見つかりません。

それまで家族の事も家の事も大好きだった飼い犬の家出に、家族みんなが悲しみに暮れました。

まだまだ寒い季節なので、「もうダメかもしれない」と、切なる想いを吐露した事も。

しかし一ヶ月後、その犬は帰ってきました・・・。

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少し痩せこけて、汚れていましたが、力強い目で、家族の元に帰ってきました。

みんなが安堵していた時に、長女が一つの事に気がつきました。

飼い犬の口には、携帯電話のサイズ程の、『小さな小箱』がくわえられていました。

その後、その飼い犬が「家出をした理由」を家族が感じ取り、その場でみんなが泣き崩れることになるなんて、誰も思いませんでした。

その小箱に、母親が驚きの声を出しました。

それにつられて、父親も手で口を覆いました。

その小箱は、間違いなく、その家族の「祖父母」の家にあったものでした。

そしてその小箱の中には・・・

祖父母と共に撮った家族写真や、長女や次女の小さな子供の頃の写真が入っていたのです。

祖父母の家は、東日本大震災でほぼ全壊してしまいました。

また、祖父母も、震災をきっかけに、命を失う事になってしまいました。

家族みんなが大好きだった、祖父母。

飼い犬も何度も祖父母の家に連れて行ってもらい、またたくさん愛情を注がれていました。

震災で祖父母も祖父母との思い出も亡くしてしまった事に、家族みんなは悲しみに包まれていました。

もちろん、その飼い犬も、悲しい気持ちでいっぱいだったのでしょう。


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そんな中、家出した飼い犬が持って来たのが、たくさん祖父母との思い出が詰まった小箱だったのでした。

家から何十キロも離れている場所で、家は原型を留めていないくらいボロボロで、もちろんこの小箱の事を飼い犬が知っているはずもないのに、間違いなくそこにはたくさんの思い出が詰まった小箱がありました。

まるで、「みんなの思い出は、無くならないよ」と、飼い犬が家族に訴えかけているかの様に…。

家族みんな、その場で泣き崩れました。

誰もがボロボロと、大粒の涙を流して泣き崩れました。

東日本大震災は、多くの人の命を失い、多くのものが無くなり、誰にとっても本当に辛い経験となりました。

そんな辛い中にも、この飼い犬の行動が生んだ「奇跡」の様に、小さな小さな『希望』が、たくさんあったりします。

まだ東日本大震災の傷が癒えていない人は、たくさんいます。

それでも、そんな「小さな希望」を信じながら、みんなで前を向いて生きていく事が、この大き過ぎる困難を乗り越える、唯一の方法なのではないでしょうか。

そんな希望を感じる事ができる、1匹の犬と家族の話。

素敵ですね。
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【涙腺崩壊】イジメにより娘を亡くした母。 最後に残された日記には思いもよらない犯人の 名前が記されていた・・・「私の娘を殺したのって・・・」

皆さんは、イジメという残虐非道な問題をどう受け止めていますか?

自分にはあまり関係無いと思う方も、今までそういった事と無関係だった方も多くいると思います。

しかし、出来ればそんな方にもこの内容を見て頂き、今この瞬間にもそこら中で起きているイジメについて考えて頂きたいです…

私の娘は、14歳でその生涯を終えました。
たったの14年間しか生きる事ができませんでした。

中学校に入学して以来、ずっとイジメに遭っていたのです。
死んでしまうまで、共に生活をしていた私でさえも気付く事が出来ないほどそのイジメの内容はあまりにも酷かったのです…

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娘は、普段から明るい子で、家でもその明るさを絶やした事はありません。

まさか、学校でイジメをされているなんてほんの少しだって感じられませんでした。

もっと注意して、もっと気に掛ける事が出来ていたら、もしかするとイジメにの事実に気付けていたのかも…そう思うと自分を責め、悔やんでなりません。

娘がイジメに遭うこととなったそもそもの原因は、元々イジメられていた子を庇った事が原因だったそうです。

娘の死後、娘の部屋にある机の引き出し奥から見つけた日記には、その細かな内容が記されていました。

○○ちゃんの事を誰も助けない。
先生も見て見ぬ振りしてた。

だから私だけでも味方になりたかっただけなのに…今度は私も。
なんか皆が上辺だけって感じで笑えるw

そして、この日記の内容はどんどんそのイジメの酷さを綴る事になっていったのです。

最近どんどんエスカレートしてきてる。
テレビとかマンガとかで見た事あるけど、ほんとその通りかも。
しかも皆に話そうと、イジメをやめて欲しいって伝えようとしても誰も耳を傾けてくれない。
やっぱり正義の味方をしちゃうと逆にイジメられたり標的にされちゃうの?
苦しんでる人を助けると、私もイジメられるなんて不公平な世の中。
だから今の日本とか若者ってどんどんすさんでいくんだよ…。
はぁ…今日を境にLINEも皆からブロックされましたとさ。

 

 

今日、初めて先生に助けを求めてみた。
ほんと、笑えちゃうけどね…
先生なんて言ったと思う?
「そんなもん、お前が相手にするから悪いんだ。放っておけばいいんだよ!」
だってwww
なくない?w
ま、分かってたけどさぁ。
私と○○ちゃんが教室で掃除用具のホウキ端で背中とか殴られてるのに、先生見ても見ぬふりしてたしね。

娘は、担任の先生に助けを求めていた様です。

しかし、娘の日記を見る限りでは、話を聞くどころか全く相手にしてもらえなかったのだとか…

それどころか、この後綴られていた内容は我が目を疑うものでした。

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はー。もうダメかなー。

今日の放課後、いつも通り天罰とかって暴力プレイをされた後、校長先生に会いに行って事情を説明した。
さすがにこれで何とかなるかなって淡い期待があったんだー。

でも、理想とは違った。

校長先生に自分の背中を見せてまでイジメの事実を訴えたのに、まさかの答え。

「それがイジメだと決め付けるには証拠が足りないから、もう少し信憑性のある事実と証拠を持ってきなさい。安易に決めつける事は出来ない…」
だって!w

もう目の前真っ暗だよ

これがイジメの内容を綴った最後の日記でした。
そしてその次のページには、犯人の名前が記されていたのです。

 

 

お母さん、ごめんね。
私一番ダメな選択を取っちゃいそう。
強いと思ってたけど、弱かったみたい。
私ね、中学入学当時くらいからずっとイジメられてたんだ。
でも、お母さんにはどうしても、どうしても相談出来なかった。

言えなかった…

今まで、1人でずっと私の事育ててくれてありがとうございました。
いつも仕事頑張ってくれて、毎朝キャラ弁とか作ってくれてほんとにありがとうございました。

でもあのキャラ弁も、ほとんど食べる前に皆に捨てられてたんだけどさ…
でも、捨てられる前にどんなキャラだったかはちゃんと覚えてるからね。

私をイジメていたのは、クラスのほぼ全員だった。
でもね、それよりも私は大人にイジメられていたんだと思う。
先生達にも、相手にしてもらえなかった。

もう学校行きたくない。

でも、さらにそれでエスカレートするって考えたらもう明日を迎えるの無理っぽいよ。

ゴメンね。

お母さん、本当にありがとう。

私自身、娘の抱える問題とイジメの事実に気付く事が出来なかった責任は重大です。

しかし、現にイジメの事実を訴えたにも関わらず何の感知も対応もしなかった学校の責任は重いのではないでしょうか。

今も尚、こういったイジメに耐え続けている子供はたくさんいるはずです。
私たち大人が少しでも意識と気を配る事で尊い命を救う事ができるのです。

少しでも多くの方に、この記事を読んでいただける事を願います。

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