【涙腺崩壊】東日本大震災後に、遺体を拭った警察学校生

警察官の卵として初めての仕事は、
収容された遺体をきれいに拭くことだった。

東日本大震災で甚大な被害が出た宮城県。

人手が足りない県警は警察学校生を現場に
駆り出した。

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髪の泥を拭った女の子の遺体、
母親から差し出された小さな男の子…。

「警察官の仕事の重さを知った」。

厳しい現場を経た“卵”は今、
使命感を胸に、警察官として現場で
不明者の捜索やパトロールを続けている。

震災から3日後の3月14日夕方、
竹谷信宏さん(25)=現巡査=を含む
41人の宮城県警察学校生に教官から
思いもよらぬ命令が下された。

「明日から検視の仕事を手伝ってもらう」。

学校生たちはそれまで、
宮城県名取市の高台にある警察学校に
避難してきた人の世話などに当たっていた。

”覚悟していたが”

竹谷さんは「警察官になった以上、
遺体と接することは覚悟していたが、
まさかこんなに早くとは…。

『遺体はどんな状態なんだろうか』

『苦しそうな表情をしているのだろうか』。

前日の夜は恐怖心で眠れなかった」と話す。

翌日、収容所でいきなり言葉を失った。

最初に対峙した遺体はまだ5~6歳の女の子。

悲しみを通り越してしまうほどの
衝撃を受けた。

厳しい寒さの中、
黙々と水でぬらしたタオルで体と髪に
付いた泥を拭った。

竹谷さんとペアを組んだ警察学校生の
女性は涙をこぼしていた。

検視の手伝いは約半月続き、
70~80人の遺体をきれいにした。

中でも竹谷さんのまぶたに
焼き付いている光景がある。

仕事中に声をかけられ振り向くと、
放心状態の女性がたたずんでいた。

両腕に3~4歳くらいの男の子の
遺体を抱えていた。

「息子なんです。
きれいにしていただけませんか」

やり場のない悔しさを感じながら、
少しでもきれいにしてあげようと丁寧に体を拭き、納棺師に引き渡した。

このとき、
警察官の仕事の重さと
奥深さを感じたという。
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「地元の治安守る」

子供のころに警察車両の展示会で
「かっこいい」と思って以来、
ずっと警察官に憧れ続けた竹谷さん。

地元の大学を出て、
一度は神奈川県警の試験に合格したものの、
「どうしても地元の治安を守りたい」と
宮城県警の試験を受け続けたという。

3月末、警察学校を卒業。

岩沼署地域課増田交番に配属された。

岩沼署は今回の震災で
計6人が殉職するほど
被害が大きい地域だ。

朝7時に出勤し、明るいうちは不明者の捜索、
夜はパトロール、翌日昼過ぎに寮に
帰って寝て、また翌朝7時に
出勤という過酷な毎日が続く。

休日はこれまで1日もなく、
体力は限界を超えている。

それでも、
「住民の方から
『ごくろうさま』
『ありがとう』
といわれると力がわいてくる」。

いつ街が元の姿に戻るのか、
想像もつかないが、

「とにかくやるしかない。
一人でも多くの不明者を見つけたい」

とがれきに立ち向かっている。
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【涙腺崩壊】ガンを発症した彼女に思い出の場所でプロポーズ。彼女が思わず涙した理由とは?

2015年5月31日(日)、毎年恒例となったアイプリモ×千葉ロッテマリーンズ「始球式プロポーズ」が行われました。

 

多くの応募者の中から選ばれた男性は、花島工真さん、25歳。小学生の頃から現在まで16年間野球一筋でプレーをしてきた花島さんは現在も野球製品のメーカーに勤務されている生粋の野球好き。
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そんな花島さんがサプライズプロポーズをするお相手は交際7年目になる舘石彩さん。2人とも千葉県出身で千葉ロッテマリーンズの大ファン。これまで一緒に観戦に訪れるだけではなく学生時代には共にQVCマリンフィールドでアルバイトをしていたそうです。

始球式プロポーズに応募した理由は…

実は彼女の彩さんは約1年前に「骨肉種」という骨にできるガンが発覚。手術と抗がん剤治療で一度は回復に向かいましたが、約1ヶ月前に再発。その時に花島さんのことを思った彩さんから「もう一緒にいない方がいい」「もう別れた方がいい」と言われたそうです。

事前インタビューでは「好きな彼女が病気になっただけで、だからといって自分の気持ちは何も変わらない。これからもずっと一緒にいるし、ただ一緒に乗り越えていくだけです。それを伝えたことはあるけれど、プロポーズという形でもう一度しっかりと示して彼女に安心してもらいたい。」と話してくれました。

そしてプロポーズをするのは、二人の思い出の場所であるQVCマリンスタジアムでの始球式プロポーズしかない、と応募を決意したそう。

2人の思い出の場所でプロポーズ

何も知らない彩さんは、ただロッテの試合観戦に誘われたと思い楽しそうに観客席で試合開始を待っていました。そこへ、始球式プロポーズのイベントが開催のアナウンスと共に彼と自分の名前が呼ばれ、ビジョンには隣にいる彼の姿が映し出されました。

まさかのサプライズに驚く彩さん…

花島さんの男気溢れるプロポーズ企画。それは…
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「びっくりさせてしまってごめんなさい。そして病気のこともこんなにたくさんの人の前で打ち明けてしまってごめんなさい。でも僕の決意をしっかりと見てほしくて、今日ここで始球式をさせてもらいます。もし僕が今江選手からストライクを取ることが出来たら、プロポーズさせて下さい!」

そして、思いを込めて投球…

現在も野球をしている花島さんは直球ストレートで全力投球!今江選手は大きく空振りをして、見事ストライクを取ることが出来ました。

そして、花島さんがマイクを握ります…。

「いつも僕には支えてくれてありがとうって言ってくれるけど、正直僕は自分の方が支えられていると思っています。これからもずっと一緒にいてください。結婚してください。」

プロポーズを受けた彩さんは目に涙を浮かべ声を詰まらせながら「よろしくお願いします」と答えました。

プロポーズ成功!そして…

そして観客席には、工真さんが彩さんに内緒で呼んでいた二人のご両親と友人の姿が。ご両親もスタンドから目に涙を浮かべて嬉しそうに見守っていました。

 

2人がファンだという今江選手からはお祝いのメッセージと始球式の際に振ったバッドが贈られ、約2万6千人の観客からは盛大なお祝いの拍手が贈られました。


まさかプロポーズされるとは思っていなかったのでびっくりした…という彩さん。

「いつも支えてもらってばかりだと思っていたけれど、“いつも支えてくれてありがとう”って言ってくれたのですごく嬉しかったです。まずは病気を治して、幸せにゆっくり過ごしていきたいです。」とコメント。

この日千葉ロッテマリーンズは快勝。2人の門出をお祝いしてくれているようでした。工真さん、彩さん、本当におめでとうございます。末永くお幸せに。
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【感動エピソード】耳の聞こえないおばあちゃんと猫の出会い

数年前に話題になったこちらの写真、ご存知の方も多いのではないでしょうか。

◆ニャンコとおばあちゃんとの出会い

ある日、自宅の納屋で野良猫が産み落としていった子猫たちを発見したみさおさん。

初めのうちはそっと見守っていましたが、残念ながら子猫たちは次々と亡くなってしまいました。

そして最後に残った白猫が1匹、寂しそうにしているのを見て、飼うことに決めたそうです。
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みさおさんは、その猫を「ふくまる」と名付けました。

「福の神様が来て、全てが丸く治まるように」という意味を込めて…

以来、ふたりはご飯を食べる時や寝る時はもちろん、畑仕事や庭でくつろぐ時も、どこへ行くのも一緒♪

その幸せいっぱいの写真の数々…


ふたりともとても幸せそうな日常を送っているようで、見ているこちらも心が和みますね。

しかし、ふくまるは実はある障がいを抱えていました。

それは、聴覚障がい。

ふくまるは、生まれつき耳が聞こえません。

そしてまた、みさおさんも年を取るにつれて耳が遠くなってきています。

そんなふたりのコミュニケーションは、アイコンタクト。

お互い不自由は全く感じていません。

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この暮らしがずっと続けばいいな…

きっとそんな風に思っていた事でしょう。

しかし、それはかなわぬ夢。

別れはいつか必ず訪れます。

「猫の日」に旅立ったふくまる…

『今日は感謝と共に、お知らせしたい事があります。

写真の通り、ふくまるがお空へ旅立って行きました。

11歳でした。まだまだ生きれる年齢でした。

と言いましても1年前の2月22日の事です。なんと猫の日に。

家族みんなの意向もあり1周忌を終えるまではお知らせを控えていました。

「ふくまるは元気だよ」と嘘をついていてごめんなさい。

ふくまるさんは実は長年、腎不全と闘ってきました。』

(フェイスブックから)

2人を撮り続けたカメラマンであり、みさおさんの孫娘である伊原美代子さんのFacebookでふくまるの訃報が知らされ、日本だけではなく、世界中の人々が涙し、多くのコメントが寄せられました。

『皆様

ふくまるへのお言葉ありがとうございました。

ふくまるは死んでしまいましたが、

死によって全てが終わってしまう訳ではないと思います。

写真は永遠と感じています。

たくさんの写真を撮らせてくれたふくまる。

まだまだ皆さんに見て頂きたい写真がたくさんあります。

ばばちゃんの畑でも、命が朽ちても栄養となり、

また植物が芽を出し実ります。

姿や形を変えて生き続けています。

死は終わりではない。

ふくまるはそう私に教えてくれたように思います。』

(フェイスブックから)
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マクドナルドの灯りで勉強する9才少年 〜ある医学生の心を動かした男の子〜

フィリピン、マンダウエ大学の学生ジョイス・トレフランカさんが、Facebookに少年の写真を投稿した時、この少年の人生にすぐに影響を及ぼすとは考えていなかった。

6月23日、トレフランカさんは、セブ島の歩道でデーブル代わりのスツールを使って勉強している少年の写真を投稿した。

数日経って、トレフランカさんの投稿はネット上で拡散し、フィリピンのテレビ局「ABS-CBN」 がこの少年を追跡した。

ABS-CBNは何とかこの少年を特定した。撮影されたマクドナルドの近くにある店にいるダニエル・カブレラ君(9)だという。ダニエル君の母、クリスティーナ・エスピノーサさんはその店の従業員だった。
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AFPによると、エスピノーサさんは2013年に夫を亡くし、3人の子供がいる。5年前に掘っ立て小屋のような家が破壊されて以来、店に住んでいるという。エスピノーサさんの収入はお店の仕事と家政婦の掛け持ちで1日80ペソ(約218円)だ。

家族には数限りない試練があるが、エスピノーサさんによると、3年生のダニエルくんはいつも勉強熱心な子供だという。

「ダニエルはとても勉強好きで、しっかりした子供です。お昼ごはんのお金を私があげられなくても、学校に行きたいと言うような子なんです」。エスピノーサさんはAFPにこう語った。「いつも私に言うんです。『ママ、貧乏のままでいたくない。夢をかなえたいんだ』」

少年には今、喉から手が出るほど欲しかった救いの手が与えられようとしている。

エスピノーサさんによると、この数日家族のもとに寄付、そして学用品などのプレゼントの申し出が次々と舞い込んでいるという。

ABS-CBNによると、地元のサミュエル・パグディラオ議員がダニエル君に奨学金を提供したほか、エスピローサさんも自分の店を始められるように、スポンサーの資金提供を受けたという。

「私たちは大喜びです。この恩恵をどのように受けていいのか分かりません」とエスピノーサさんはAFPに語った。「もう、ダニエルは勉強をやめる苦痛を味わうことはありません」
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トレフランカさんは1枚の「ただの写真」がこんな「大きな変化」を生んだことにとても驚いているという。

「シェアしてくれた皆さん、ありがとう」。彼女はFacebookにこう書いた。「シェアしてくれたことで、私たちはダニエル君が夢をかなえるお手伝いができました。ダニエル君の話が私たちの心に火を灯し、いつも私たちが生きていく中で直面するどんな場面からでもインスパイアされ、行動を起こすきっかけを作り続けることを願います」

ダニエル君は、ラジオ局「DZMM」のインタビューで、自分の夢は将来警察官になることだと語った。

「僕は……フィリピン人を助けたいんです」
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【涙腺崩壊】飼い犬がしきりに息子の側に寄り添い震えていた。2歳児を救った『犬の訴え』に愕然とする・・・

我が家には、飼い犬がいます。
子犬の時に家族の一員となってから、もう長い付き合い。


そして、2年前に私たちには新しい家族が増えました。

妻との間に、念願の新しい命を授かったからです。

妻と子供と私、そして飼い犬の4人家族で日々幸せな毎日を過ごしていました。

飼い犬の名前は「ジョン」

ジョンは、自分に新しい弟が出来たかの様に、子供にべったりくっ付いていいお兄さんになってくれていました。

生まれた頃から一緒にお昼寝をしたり、お散歩にいったり、時には子供の枕にされても飽きずに包みこんで寝てくれていました。

そんないつもと変わらない、穏やかな休日のある日が、私たち家族の生活を一変させる事に…

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ジョンと子供だけが知っていた、おぞましい光景と体験。

私たち夫婦は全く知らず気付かなかった、2年間の”衝撃的事実”がそこにはありました。

私たち夫婦は、共働きのため普段は子供をベビーシッターに預けていました。
とは言っても、ベビーシッターは妻の古くから知人だったため、格安で引き受けてくれていたのです。

平日は朝9時~17時までお願いし、週末の出張時や互いに仕事が入った時は泊まり込みでお願いしていた事もありました。

無理なお願いや、急な対応も快く引き受けてくれていた彼女に心から感謝していた私たちは、気持ち程度ではあるが契約金額より多くの報酬を払う事もしばしば。

そして、ある週末に家族でBBQをする事になり、日頃の感謝を込めてベビーシッターの彼女も招く事にしました。

喜んでくれた彼女は、ワインを1本とフルーツの盛り合わせを持参してくれ、そのワインで乾杯をし、楽しいBBQを始めようとした時に私はある異変に気付きました。

子供はベビーシッターの彼女といつも一緒にいるので、彼女が来た事に何も驚きや人見知りもなくはしゃいでいます。

しかし、ジョンの様子がおかしい。

何故か、ジョンが子供の側にべったりくっ付き、震えていたのです。

尋常ではない程の震えと怯えた目。

こんなジョンは初めてでした。

ジョンは、ベビーシッターの彼女を真っすぐに見て全身を震わせていたのです。

この異変に何かがあると思い、彼女に子供を預けている日に隠しカメラをセットしてみる事に。

すると、そこには何とも恐ろしい光景が…

 

「ドン」「ガンッ」「ギャー」

物激しい音と、響き渡る子供の泣き声。

我が子は、2年間彼女に恐ろしい虐待を受けていました…
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その光景を、隅っこで怯えて見ているジョンも映っていました。

大好きな息子を毎日いじめている様子を見ていたジョンは、彼女がBBQに来た瞬間、「いつもの恐怖が始まる」

そう感じたのかもしれません。

この証拠映像がきっかけで彼女は逮捕されました。

ジョンの訴えがなければ、息子はこのままずっと虐待を受け続けていた事になります。

私たちは、気付いてあげる事が出来なかった子供とジョンに何度も何度も謝りました。

妻と泣き崩れながら、はしゃぐ子供と、私たちを舐めて励ましてくれるジョンに何度も謝りました。

カナダで起きた衝撃的な事件…

犬の訴えが、1人の子供の命を救いました。

犬には、何かこうした特別な力があるのかもしれませんね。

=========☆★☆==========

この記事を読んだ時に、どれほどのベビーシッターへの怒りと、犬が救ってくれた安堵感に襲われたことでしょう!!

そしてジョン君に対してありがとう!!という気持ちが胸いっぱいに込み上げてきました虹

ジョン君の存在がなければこの可愛い赤ちゃんがどうなっていたかを想像するだけで身震いが止まりませんでしたむかっパンチ!

先日から犬のお話しを続けて掲載していますが、私は犬を一度も飼った経験がありません汗

(父が子供の頃飼っていた犬が近所の女の子の顔を噛んでしまってから、父や祖父母のトラウマで飼うことができませんでした)しょぼん
でも、最近こうして改めて犬の頭の良さと温かい心の深さをしみじみと実感しています・・・

一度マンション時代にマンションでは飼えなかったので、野良犬を可愛がってた時期があったんですけど、その話も長いのでまたいつか書きたいと思うんですけど、犬って本当に愛おしい動物です恋の矢わんわん
ちゃんと犬は恩を決して忘れない動物なんだな~賢い動物だなっと実感させられた経験がありますドキドキ

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【感動】「ありがとう」の反対の言葉を知っていますか?

ありがとうの反対語など
今まで考えたこともなかった。

教えてもらった答えは・・・

「あたりまえ」

「ありがとう」は漢字で書くと「有難う」
「有難(ありがた)し」という意味だ。

あることがむずかしい、まれである。
めったにない事にめぐりあう。

すなわち、奇跡ということだ。
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奇跡の反対は、「当然」とか「当たり前」

我々は、毎日起こる出来事を、
当たり前だと思って過ごしている。

歩けるのが、あたりまえ。

目が見え、耳が聞こえるのが、あたりまえ。

手足が動くのが、あたりまえ。

毎朝目覚めるのが、あたりまえ。

食事ができるのが、あたりまえ。

息ができるのが、あたりまえ。

友達といつも会えるのが、あたりまえ。

太陽が毎朝昇るのが、あたりまえ。

うまれてきたのが、あたりまえ。

夫(妻)が毎日帰ってくるのが、
あたりまえ。
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そして…

生きているのが、あたりまえ。

また、ある夫婦の話もしてくれた。

晩酌の時、いつも無口の夫が、
「ちょっと、お酌してくれないか?」
と珍しく妻に言った。

台所の片付けをしていた妻は、
「今、忙しいから自分でやって」と答えた。
夫は少し寂しそうだったが、
手酌で酒をついだ。

その、2~3時間後、夫は急に倒れ、
救急車で病院に運ばれ、
帰らぬ人となってしまった。

それから、妻は、
何故あの時、
夫にお酌をしてあげなかったのかと、
ずっと悔やんだという。

あの時何故、もっと、
優しい言葉で、
こぼれるような笑顔で、
感謝の言葉で、
接することができなかったのか…

誰しも、
今日と同じ日が明日も繰り返されると思う。

今日、
誰かと出逢い、話し、笑い、
食事をして、仕事ができる。

こんな当たり前だと思うことが、
本当は奇跡の連続なのだ。

「有ること難し」

生きて、出逢う、という奇跡の連続に、
「ありがとう」を言わずにいられない。
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【 感動する実話】妻が出した驚きの離婚の条件とは?

今日はある夫婦の記事を通して、日々のささやかな幸せ。
それが人生で何よりも大切であるということを語ってます。
長文ですので、お時間が取れるとき、お読みください。

 

ある夫婦の実話 「妻が出した驚きの離婚の条件とは?」
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仕事から帰宅すると、妻は食事の支度をしていた。
僕は彼女の手を握り、「話が有るんだ」と切り出した。
妻は何も言わずに席に着いた。
その目は苦痛に満ちていた。

 

ふと僕はどう切り出していいのか分からなくなった。
でも言わなければならない。
「離婚したいんだ」と。

僕は冷静に、その言葉を口にした。
妻は大したリアクションも見せず、ただ静かに聞きかえした。
「どうして?」
その問いに敢えて答えないでいたら、妻はとうとう怒りをあらわにした。
彼女は箸を投げ散らかし叫んだ。
「あんたなんか、男じゃない !!」

その夜、口論の後、僕らはとうとう一言も言葉を交わさなかった。
妻のすすり泣く声がかすかに聞こえた。
わかっている。
どうして僕らはこうなってしまったのか、
妻はその理由を知りたがっているのだ。

 

でも僕は、彼女を納得させられるような説明を、とうてい与えられるはずはなかった。
それもそのはず。僕は他の女性を愛してしまったのだ。
妻のことは、、、もう愛していなかった。
ただ哀れんでいただけだったのだ!

 

深い罪悪感にさいなまれながら、僕は離婚承諾書を書き上げた。
その中に、家は妻に譲ること、車も妻に譲ること、
僕の会社の30%の株も譲渡することを記した。
妻はそれをチラっと見ただけで、ビリビリと破り捨てた。

 

僕が10年という月日を共に過ごした、
この女は僕にとってもはや「見知らぬ誰か」に成り下がっていた。
彼女が今まで僕の為に浪費した、時間、労力、エネルギーに対しては、
本当に申し訳ないと思っている。
でも自分が他の女性を愛しているという気持ちに、
これ以上、背を向けることし出来なかった。

 

承諾書を破り捨てた後、妻はとうとう大声をあげて泣き始めた。
変な言い方だが、僕は彼女の泣く姿を見て、少しホッとした。
これで離婚は確定だと。
この数週間、呪いの様に頭の中につきまとっていた「離婚」という二文字は、
これでとうとう現実化するのだ。

 

その翌日、僕は仕事からかなり遅くに帰宅した。
家に戻ると、妻はテーブルに向かって、何かを一生懸命に書いていた。
夕食は未だだったが食欲など到底なく、
僕はベットに崩れるように倒れこみ寝入ってしまった。
深夜に一度目が覚めたが、その時も妻はまだテーブルで何かを書いているようだった。
僕はもはや大した興味もなく、ふたたび眠りについた。

 

朝になって、妻は僕に「離婚の条件」を突きつけてきた。
彼女は、家も車も株も、何もほしくないと言った。
でもその代わりに「1ヶ月間の準備期間」がほしいと言ってきた。
そして彼女の条件は、その1ヶ月の間、出来るだけ「今まで通り」の生活をすること。
その理由は明確だった。

僕らの息子が、1ヶ月後にとても大切な試験を控えていたため
出来るだけ彼を動揺させたくないというのが、彼女の言い分だった。

 

それに関しては、僕は即座に納得した。だが、それ以外にもう1つ妻は条件をつけてきた。
「私たちが結婚した日、あなたが私を抱き上げて、
寝室に入った日のことを思い出してほしいと」
それから1ヶ月間、あの時と同じように、
毎朝、妻が仕事に行く時、彼女を腕に抱き上げて、
寝室から玄関口まで運んでほしいと言うのだ。
僕は「とうとうおかしくなったな・・・・」と思った。
でも、妻といざこざを起こしたくなかった僕は、黙って妻の条件を受け入れた。

 

僕は付き合っている彼女に妻の事を話した
彼女はお腹を抱えて笑い、「馬鹿じゃないの」と言った。
今さら何をどうジタバタしたって、
離婚はまぬかれないのに、彼女は嘲るように笑った。

 

僕が離婚を切り出して以来、
僕ら夫婦はまったくくスキンシップを取っていなかった。
なので彼女を抱き上げて、玄関口まで連れて行った1日目、
僕らは二人ともなんとも変な気持で、ぎこちなかった。
それでもそんな僕らの後姿を息子は、
それは嬉しそうに、手をパチパチ叩いてついてきた。

 

寝室からリビングへ、そして玄関口へと
妻を腕に抱いたまま10メートルは歩いただろうか
妻は目を閉じたまま、
そっと「どうかあの子には離婚の事は言わないでと耳元でささやいた。
僕は黙ってうなづいた。

でもなぜか、そうしながら心はひどく動揺していた。
ドアの外に静かに下ろすと、彼女は静かにバス停に向かって歩いて行った。
僕もいつも通り、車に乗り込み仕事へ向かった。

 

2日目の朝。初日よりは少し慣れた感がした。
抱き上げられながら、妻は僕の胸に自然ともたれかかってきた。
僕はふと、彼女のブラウスから薫るほのかな香りに気づいた。
そして思った。彼女をこんな近くできちんと見たのは、いつ以来だっただかろうと・・・

 

妻がもはや若かれし頃の妻ではないことに、僕はいまさらながら驚愕していた。
その顔には細かなシワが刻まれ、髪の毛にはなんと白いものが入り混じっている。
結婚してからの年数が、これだけの変化を彼女に、・・・・
その瞬間、僕は自問した。
僕は彼女に何てことをしてしまったのだろう」と。

 

4日目の朝。彼女を抱き上げた時、ふとかつて僕らの間に有った、
あの愛情に満ちた「つながり感」が戻ってくるのを感じた。
この人は、この女性は、僕に10年という年月を捧げてくれた人だった。

 

5日目、そして6日目の朝、その感覚はさらに強くなった。
このことを、僕は不倫相手に言わなかった。
日にちが経つにつれ、妻を抱き上げることが、日に日に楽になってゆくのを感じた。
なにせ毎日していることなので、
そりゃ腕の筋力も強くなるだろうと、僕は単純にそう考えていた。

 

ある朝、妻はその日に着てゆく服を選んでいた。
鏡の前で、何着も何着も試着して、
それでも体にピッタリくる1着が、なかなか見つからないようだった。
そして彼女は、「はあ~」とため息をついた。
「どれもこれも、何だか大きくなっちゃつて・・・・」
その言葉を耳にして、僕はハッとした!。
妻はいつの間にやせ細っていたのだ!。

 

妻を抱き上げやすくなったのは、僕の腕力がついたからでなく
彼女が今まて以上に軽くなっていたからだったのだ!
愕然とした。それほどまで、やせ細ってしまうまで、
彼女は痛みと苦痛を胸の中に。。。。。
僕は思わず手を伸ばして、妻の髪に触れていた。

 

そこに息子がやってきた。
「ママを抱っこして、「行ってらっしゃい」する時間だよ」
息子には父親が母親を毎日抱き上げる、この光景を目にすることが
すでに大切な日常の一場面となっているようだった。
妻はそんな息子にむかって、
「おいで」と優しく手招きしたかと思うと、彼を力いっぱいぎゅっと抱きしめた。

 

僕は思わず目をそらした。
そうしないと、最後の最後で、気が変わってしまいそうだったからだ!
僕は黙って、いつものように妻を腕に抱き上げ、
寝室から、リビング、そして玄関口へと彼女を運んだ。
妻はただそっと、僕の首に腕を回していた。

 

そんな彼女を、気づいたら強くグッと抱きしめていた。
そうまるで、結婚したあの日の僕の様に。。。。
彼女のそれはそれは軽くなった体を腕の中に感じながら
僕は例えようのない悲しみを覚えていた。

 
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そして、最後の朝、
妻を抱き上げたとき、僕は、一歩たりとも歩みを進めることが出来なかった。
その日、息子はすでに学校に行ってしまっていた。
僕は妻をしっかりと腕に抱き、そして言った。
「今まで気づかなかったよ。僕たちの結婚生活に、
こうしてお互いのぬくもりを感じる時間がどれほど欠けていたか・・・・・」

 

こうして僕はいつも通り仕事へ向かった。
何かにせき立てられるように、とにかくここで、
後の最後で自分の決心が揺らいでしまうことが怖くて、
それを振り切るかのように、車を停めると
鍵もかけずに飛び出しオフィスのある上の階まで駆け上がっていった。

 

気が変わってしまう前に、オフィスに行かなければ。
早く不倫相手の元へ!
ドアを開けるとそこに彼女がいた。
彼女を見た瞬間、僕は思わず口にしていた。
「すまない、僕は離婚できない」

彼女は「はあ?」という目で僕を見つめ、そして額に手をあてた。
「あなた熱でもあるの?」
僕は彼女の手を額からはずし、再度言った。
「すまない。僕は離婚できないんだ」

 

妻との結婚生活が「退屈」に感じたのは、彼女を愛していなかったからではなく、
僕が毎日の小さな幸せを、他愛のない、だけどかけがえのない小さな日常を
大切にしてこなかったからなんだ。
今頃になって気づいたよ。

 

あの日、あの結婚した日、僕が彼女を腕に抱いて家の中へ、
初めての一歩を踏み入れたあの日のように
僕は死が二人をわかつまで、妻をしっかり腕に抱いているべきだったんだ!」

彼女はようやく事の次第を理解した様だった。
そして僕のほっぺたを思いっきりひっぱだくと、
扉をパタンと閉め、ワー!と泣き叫びながら、飛び出して行った。

 

僕はそのまま黙って下の階に降りた。
見ると花屋が目にとまった。
僕はそこで、妻のためのブーケをアレンジしてもらった。
店員が「カードには何とお書きになりますか?」と聞いてきた。
僕はふと微笑んで、言った。「そうだね、こう書いてくれ、」
「毎朝君を腕に抱いて見送るよ、死が二人をわかつ、その日まで、・・・・」

その日の夕方、僕は妻への花束を抱え、顔に笑顔をたたえて家についた。
はやる気持ちで階段を駆け上がる!。
早く早く!、妻のもとへ!

出迎えた妻はベットで冷たくなっていた。・・・・・

 

何も知らなかった。
僕は何も知らなかったのだ。
妻が癌であったことさえも。

不倫相手との情事にうつつをぬかしていた僕は、
妻はこの数ヶ月必死で病魔と戦っていたことに、気づきさえしなかったのだ!。

妻は分かっていたのだ。自分はもうすぐ死ぬことを。
彼女が出してきた「離婚の条件」は、僕を責めるものではなく、
僕を救うためのものだったのだ!
自分亡き後、最愛の息子から、僕が責められることがないように。

 

毎朝お母さんを抱き上げて優しく見送るお父さん。
そう、そういう僕を毎日見ていた息子にとって
僕はまぎれもなく 「お母さんに離婚をつきつけたおとうさん」ではなく
「お母さんを最後まで愛したお父さん」となったのだ!

 

僕はどうしてもあなたに伝えたい。
日々のささやかな幸せ、、、、
それが人生で何よりも大切であるということを。
幸せは大きな家、土地、高価な車、
そんなモノの中にあるのではないということを。

 

もし今、あなたの傍らに、かけがえのないパートナーがいるなら、
毎日がどんなに忙しくても、どうか相手が大切だと伝える小さなゼスチャーを、
心を通わせる時間を大切にしていただきたいと思います。

 
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【感動】最高の教師がいた〜日本の教育現場も捨てたもんじゃない〜

日本の教育現場も捨てたもんじゃない」
「教師の中の教師だ」-。

体罰をして辞表を出した京都府京丹後市の市立小学校の男性教諭(28)が、
辞職撤回を求める保護者の署名で復職した。

市教委などによると、教諭は子供のころ、外見を理由にした嫌がらせを受け、
自殺まで考えたことがある体験から、常々いじめにつながる嫌がらせ行為には気を払っていた。

 
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今月4日、教諭は体罰をした直後、自分で校長に報告。

校長室に向かう教諭に、ほとんどの児童が泣きながらついていき、
校長室の周りに座り込んでいたという。

保護者説明会で
「信頼している先生に残ってほしい、という子供たちの願いを強く感じた。辞めさせてはならない」
と保護者が結束し、署名運動を始める一方、校長あてに正直な思いを手紙につづった。

「(教諭の行動は)怒りの感情にまかせた行動ではなく、冷静な対処。自分の職をかけてでも矯正しようとしてくれた先生に感動し、涙がこぼれた」

児童も心境は同じだった。

「これからもぼくたちのたんにんをやってください」
「先生がいないと学校にいきたくない」
「ぼくのせいでこんなことになってごめんなさい」…。
全員が色紙に書いた寄せ書きには、素朴だが力強い言葉が並んだ。

謹慎後、教諭は反省文を提出した。

「『みんなを殴って先生は辞める』と言ったのは言葉の暴力だった」

「子供と話し込んだり先輩の先生と相談するべきだった」などと振り返り、

「いかなる処分も受けて、子供たちを立派に成長させ、卒業させる」と決意。

最後は「こんな素晴らしい教育環境の中で教師生活をさせていただくことに自信と誇りをもって頑張っていきます」

と締めくくられていた。

 
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「体罰」は事前に警告

市教委などによると、男性教諭による体罰が起こったのは今月4日。

教諭のクラスでは1人の男児の外見を一部児童がからかい、他の児童も黙認する状態だった。

教諭は「(次にからかったら)みんなをたたいて教師を辞める」と注意していたが、

4日に再びからかいがあったため、「ここで放置すると、いじめに発展しかねない」と判断。

男性教諭はからかわれた男児を除く全員のほおを平手打ちした。

報告を受けた校長は同日夜、保護者らを集め、教諭とともに謝罪。

3日間の自宅謹慎を命じられた教諭は辞表を出した。

ところが、寛大な処分を求める署名運動が保護者の間で始まり、

全校の児童191人の保護者ほぼ全員分の署名が学校に提出された。

その後、教諭が二度と体罰をしない意思を示したため、校長は辞表を返却した。
教諭は採用4年目で、同小には今年度に着任していた。
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【涙腺崩壊】学校で友達を殴りケガをさせた息子を叱る父親。しかし、泣きながら殴った理由を話した息子の理由を聞き何も言えなくなった。

私には、来月12歳になる息子がいます。
幼い頃から空手を習わせており、全国で優勝する程にもなりました。
そのおかげで、精神的にも体力的にも強い子です。

空手の教えでもあるのか、決して外で喧嘩をして来たり、誰かに空手を使って暴力をふるったり、弱い者をいじめる事をしない子。

しかし、ある日我が耳を疑う様な出来事がありました。
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仕事中、会社にかかってきた一本の電話。
それは学校からでした…

お父さん、すぐに学校にこれませんか?
○○○君(息子)を迎えに来ていただけませんか?

こんな電話がかかってきたのは、初めての事です。
いきなり呼び出されるなんて、何か大事でもあったのか!?
瞬時に心臓の音が高ぶったのを覚えています。

息子に何かあったのですか!?

そう聞くと、先生は言葉を詰まらせながら少し言いにくそうに話します。

…いえ、○○○君がお友達をかなり執拗に殴ってしまい、顔が腫れ上がってしまいまして…

この言葉を聞き、我が耳を疑いました。 今まで一度だって誰かを殴ったりした事の無い子です。

空手の試合中は圧倒的な強さで相手から勝利を勝ち取りますが、外で手を上げた事なんてありません。

まさか…?まだ信じられない思いのまま、仕事を早く切り上げて学校へ息子を迎えに行きました。

 

保健室のベットの上でうつむきながら座る息子と、その横でワケを聞き出そうとしている担任の先生がいました。

息子の手は包帯でぐるぐるに巻かれ、目には大粒の涙が溢れる寸前で拳をギュッと握って我慢している様子でした。

先生から事情を聞くと、殴った理由をどうしても言わず、

僕が悪いんだ。
△△君(殴った友達)は悪くない。

この一点張りだそう。

埒があかないので、その日は連れて帰って私が家で話す事にしました。
そしてその夜、やはり事情を話さない息子についに私も激怒してしまい、怒鳴りました。
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すると、ずっと我慢していた涙が頬をつたって流れ出し、今まで滅多に泣いた事のない息子が声を上げながら泣き出し、必死に友達を殴った理由を訴えたのです…

お母さん…
お母さんが…

そう震える声を整えようと必死に涙をこらえ、息子が話した内容は私も知らなかった事でした。

お母さんが…

お母さんが最後にくれた御守りだったんだ。
僕がずっと強くいられるように、最後に作ってくれた御守りなんだ。

それを△△君(殴った友達)がダサくて気持ち悪いって言ったんだ…

でもね…それだけならまだいいよ?

僕が教室に居ない間にハサミでランドセルから切っちゃったんだ。

だから…許せなかった。
お父さん、ゴメンなさい。

 

私の妻、息子の母親は昨年にガンで他界しました。
乳ガンからリンパへ転移し、治療を続けていましたが亡くなってしまいました。

私は、息子が妻からそんな御守りをもらっていた事を知りませんでしたが、この息子の話を聞いてハサミで切られたという御守りを見せてもらいました。

それは、妖怪ウォッチのジバニャンを再現して、細やかに編みこまれた手作りの御守りでした。

泣きながら理由を話し、泣きながら私にジバニャンの御守りを渡す息子の姿とその想いを知り、私はもうそれ以上怒ることは出来ませんでした。

それどころか、私もその場で一緒に泣き崩れてしまいました…。

私の教育の仕方は間違っているのかもしれません。

もちろん殴ってしまった事は取り返しの付かないダメな事です。
でも、どうしても息子だけが悪いとは思えませんでした。

暴力はいけません。
絶対に肯定できる事ではありません。

しかし、何よりもこの気持ちを大事にしたいと思いました。

出典:YouTube

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【涙腺崩壊】実験犬シロの願い〜問われる動物実験の現実〜

それは、クリスマス・イブの夜のこと、1匹の白い犬が星になりました。

その犬の名は、シロ。

1年前、ある病院の実験犬として脊髄を削られ、手当もされずに、死を待つばかりだった­ところを保護された犬でした。

テレビや新聞に、そのことが大きく取り上げられると、日­本中からシロへの励ましと、病院への抗議が殺到したのです。
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これは、捨てられ、実験される犬たちと、そうした不幸な犬たちを救い続ける人々の実話­です。

日本では保健所や動物収容所に連れてこられた犬や猫の運命は、「ガス室」に入れられて殺されるか、「実験動物」として大学の医学部などの研究機関に払い下げられるというものでした。

飼い主に捨てられ保健所で殺処分を待っていた犬「シロ」はまだ一歳でした。

殺される恐怖におびえる日々を送っていた「シロ」、そんな「シロ」が保健所から出される日が来ました。

しかし行先は動物実験のための東京都にある国立病院。

若くて元気でひとなつっこい「シロ」は保護された犬の中から選ばれて、とうとう実験動物にされてしまいました。

 

 

動物実験に使うために1300円で病院へ売られたのです。

「シロ」は脊椎を切断するというとてもつらい実験をやらされました。

左足は麻痺しました。

その後手当もされず放置されました。

背中には大きな手術の傷。

そして全身もストレスや皮膚病のため毛が抜け落ちているままにされていました。

「シロ」の隣の檻にはビーグル犬のメリーがいました。

 

ビーグル犬のメリー

メリーはワクチンの実験に使われ生き残りましたが、今度は脊椎の実験に使われ、その後実験者が転勤になった後は忘れ去られたように、5年間ずっと檻の中にほったらかしにされていました。

ある晴れた日、動物保護ボランティアの人たちによって「シロ」たちは保護され手当てを受けました。

看護によって「シロ」は散歩にまで行けるようになりました。

「シロ」は少しずつよくなっていきました。

でも吠えることも鳴くこともできませんでした。

うつろな瞳をして、一日中ぼんやりとしていました。
何か月暮らすうちに「シロ」は元気を取り戻しました。

白い毛が生えそろい瞳を輝かせて嬉しそうにはしゃいだりしました。

堅く引きつっていた足も地面につけられるようになっていました。

いたずらをしたり顔をペロペロとなめたり甘えるようにもなりました。

でもその幸せは長く続きませんでした・・・

 
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「危険に対して身構える」といった能力にかけ車が来ても飛び出していき、方向感覚がまるでありませんでした。

そして運命の日、12月24日のクリスマスイブの夕方でした。

「シロ」は国道で自動車事故に遭い死んでしまったのです。

「シロ」は実験室から生還してわずか一年しか生きることはできませんでした。

推定年齢わずか二歳の短い一生です。

けれども「シロ」の存在がテレビや新聞で大きな話題となり、毎年何万頭もの犬や猫たちを実験の苦しみから救い出す大きなちからとなりました。

そして平成17年末をもって動物実験への犬猫の払い下げは、全国的に廃止になったのです。

このことは日本の犬や猫たちをめぐる歴史の中で、忘れられない大きなできごとの大きなひとつであるにちがいありません。

「シロ」はきっとそのために役目をもって生まれた犬だったと思います。

こうしている今もなお「シロ」のような犬たちが、毎年何万頭となく実験室の中でつらい苦しい目にあわされています。

日本には残酷で無意味な動物実験を監視して、止めさせることのできる仕組みがまだなにもありません。

声のない動物たちの訴えに耳を傾けてみましょう。

そうすれば私たちが何をしたらいいかきっとわかるとおもいます。

出典元:spotlight

 
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