【感動実話】5歳で婚約をし、13歳で女性器切除されながらも、マサイ族の過酷な運命に立ち向かい、夢を叶えた女性

命の危険を伴う女性器の切除、まだ10歳にも満たない女の子の強制的な婚約。女性に教育を受ける権利が認められていないマサイ族では、ほかのアフリカ地域と同様、いまも古い慣習や制度によって、多くの女性が虐げられている現実があります。そんな中、同族の出身であるKakenya Ntaiya(カケンヤ・ンタイヤ) 氏は、故郷に女子校をつくるために立ち上がり、数々の苦難と戦い続けました。その末に彼女が手にした未来とは?
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彼らは背が高く、とても高くジャンプします。赤い衣装を身にまとい、ライオンを殺します。さて、何という民族かわかりますか? それは、マサイ族です。何がすごいって? 実は、私もマサイなんです。(会場笑)マサイ族の社会では、男の子は戦士になるよう育てられ、女の子は母親になるように育てられます。私が5歳の頃、私には既に婚約者がいて、思春期に入ったらすぐに結婚をすることが決まっていることを知りました。母も祖母もおばたちも、よく私にこう言いました。「今しがた将来の旦那さんが通りかかったわよ!」(会場笑)すごいでしょう? それ以来、私が行ったことは、12歳までに完璧な女性になるために準備をすることだけでした。

私の1日は朝5時に始まり、牛の乳搾り、家の掃除、兄弟の食事の支度、水汲み、薪を集めることが日課でした。私は完璧な妻に求められることを全てこなしていました。私は学校へも通っていました。でも、それはマサイ族の女の子がみな通っていたからではありません。私の母は教育を受けることを許されませんでした。ですから母はいつも私達兄弟に「自分と同じような人生を歩んでほしくない」と言っていました。

マサイ族の伝統的な儀式

なぜ母はそんなことを言ったのでしょうか? 私の父は都市で警察官をしていました。年に一度家に帰ってきますが、時には 2年も帰らないことがありました。父が家に帰る度に私たちの生活は一変しました。母は畑で一生懸命働いて、私達の食べる穀物を育てていました。牛や羊を育て、私達を養ってくれていました。
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しかし、父が家へ帰ってくると家畜や食糧を売って、友達と酒場へ飲みに出かけてしまうのです。女性である母には財産を所有する権利は一切なく、したがって私達の家にあるものはすべて父が所有権を握っていました。もし母が父に反抗すれば、殴られ、虐待されてしまいました。私が学校に通っていた頃、私には夢がありました。学校の先生になりたかったのです。先生は素敵ですね。きれいな服を着て、ハイヒールを履いていました。後になって、ハイヒールは履き心地が悪いと気づきました。(会場笑)特に、先生の仕事は黒板に何か書くだけで、とても楽そうだと思ったのです。私が畑でしている重労働に比べたら楽そうです。それで私は先生になりたかったのです。学校で私は一生懸命勉強をしました。そして、中学生の時、私はある決断を迫られました。

マサイ族には伝統的な儀式があり、女の子は思春期を迎える頃に皆その儀式に参加することになっていました。それは、大人の女性になるための儀式です。私にとって、中学校を卒業し高校へ進学する過渡期でした。人生の分岐点です。この伝統儀礼を受ければ、私は妻となります。そして、私の先生になるという夢は叶いません。

決死の覚悟で行った父親との交渉

そこで、私は この問題を解決するために作戦を練らなければなりませんでした。私は父に他の女の子なら絶対にしないような交渉をしました。私は父に、 「儀式には参加しますが、その後、また学校に通わせてください」とお願いしました。もし私が儀式から逃げ出したら父は大恥をかき、人々に 「儀式から逃げた娘の父親」として後ろ指を指されます。父は汚名を背負って生きていくのは耐えられません。ですから、「わかった、儀式に参加したら学校にまた通ってもいい」と言ってくれました。私はその儀式に参加しました。1週間にわたる盛大なお祭りです。村の人々は大いに楽しんでいました。そして、実際に儀式が行われる前日に、私達は踊り、楽しみ、寝ずに夜を明かしました。儀式の当日、私達は踊っていた家を出て、踊りながら歩いて行きました。広場に到着すると、大勢の人たちが輪になって待っていました。私達は踊りながらその輪に近づいて行きました。女性も男性も子供も、村中の人が輪になっていました。輪の中心には女性がいて、座って私達を待っていました。私の姉妹や他の女の子もいました。まず私が1番手でした。

 

その女性に近寄った時、彼女が私を見据えたので、その場に座りました。そして、脚を広げました。脚を広げると、別の女性がやって来ました。ナイフを持っていました。ナイフを持って、私の方に歩み寄り、私のクリトリスをつまむとそれを切り落としたのです。ご想像通り、私は大量の血を流しました。出血が続いた後、私は意識を失いました。しかし、私は幸運でした。多くの女の子はこれにより命を失いますが、私は死にませんでした。麻酔もなく 、ナイフは錆びていたので、とてもつらい経験でした。でも私は幸運でした。多くの母親がしないことを私の母がしてくれたからです。儀式の3日後、家から人が去った後、母は看護婦を呼びに行ってくれたのです。私達姉妹は手当を受け、3週間後に私は回復し、高校へ進学することが出来ました。私の「先生になる」という決意は固まっていました。 家族に変化をもたらすためです。

人生の転機となったとある男性との出会い

高校生のときに、あることが起こりました。同じ村の出身の若い男性と出会ったのです。

彼はオレゴン大学へ留学していました。白いシャツとジーンズという格好で、カメラを持ち、スニーカーを履いていました。真白のスニーカーです。外見に魅了されてしまうことってありませんか? 靴はスニーカーを履いていたんですよ(笑)! 舗装された道路もない村で、そのスニーカーはとても魅力的でした。(会場笑)私は彼に率直に言いました。「あなたのいるところに行ってみたいわ」と。彼はとても幸せそうに見え、うらやましかったのです。彼は聞きました。「行きたいってどういうこと? きみを待っている旦那さんがここにはいるんじゃないの?」 私は、「そのことはご心配なく。行き方を教えてくれるだけでいいの」と言いました。(会場笑)この男性が私を助けてくれました。また、高校在学中に父が病気になりました。とても重症の脳卒中だったので、父は私の進路について何も指示することができませんでした。しかし、 私の父は1人ではないのです。私の村にいる父と同年代の男性は、みな私の父替わりなのです。おじさんみたいな存在ですね。彼らも私の将来について指示をします。そんなとき、ある通知がきました。私が志願していたアメリカのバージニア州、ランドルフ・マコン女子大学からの合格通知です。しかし、村の助けがなければ大学へ行くことはできません。航空券を買うお金が必要だったからです。奨学金はもらえましたが、渡米する資金が必要でした。それで、村の助けが必要でした。しかし、村の男性は 「女の子が大学へ進学するチャンスを与えられた」なんて聞くと、「何てもったいない! こういう機会は男の子に与えられるべきだ! 支援なんてできない」と言います。そこで、私はまた村の伝統を利用しました。

長老への嘆願

村人たちは「良い知らせは朝にやってくる」と信じています。ですから、この問題を解決するには朝でなければなりませんでした。良い知らせは朝にやってくるからです。村にはみんなのリーダー的存在ともいえる長老がいました。その彼が賛成すれば、皆がそれに従います。そこで私はある日の早朝、日が昇るとすぐに彼を訪ねました。彼がドアを開けると、そこには私が立っていました。「おやおや、こんな朝早くにここで何をしているんだね?」と彼は私に尋ねました。「あなたの助けが必要なんです。私がアメリカに行く支援をしてくれませんか?」と、私は頼みました。私は彼に必ず将来村に帰ってきて、村の人々が望むことを何でもすると約束しました。彼は、「自分1人で決められる問題ではない」と言いました。そして私に村の16人の男性の名前のリストをくれました。毎朝、私は彼らに会いに行きました。最終的に彼らはみな協力してくれました。村の女性も子供もみな協力して、私が教育を受けるための支援をしてくれました。晴れて私はアメリカに来ることができました。そこで私が見たものは何だと思いますか? まず、雪を見ました!

(会場笑)そして、ウォールマートや電気掃除機を見ました。学校のカフェテリアに並ぶ豊富な食べものにも驚きました。私は物が豊富にある国にきたのです。私はアメリカの生活を思い切り楽しんでいました。

アフリカに女子校をつくりたいという想い

しかし、私は同時に多くのことを学びました。私が13歳のときに経験した儀式は、「女性器切除(FGM)」と呼ばれるもので、ケニアの法律に反するものだと知りました。教育を受けるために自分の体の一部を引き換えにする必要などなかったことも知ったのです。本来、私には教育を受ける権利があったのです。今現在も、アフリカでは300万人もの女の子が 女性器切除を受ける危険にさらされています。また、私の母には財産の所有権があったのだと学びました。女性だからという理由で、父に虐待される必要はなかったのです。これらのことを学んだ私は憤慨しました。何か行動を起こしたいと思いました。故郷へ帰るたびに、近所の女の子が結婚をしていくのを目にします。私が受けた儀式を彼女たちも受けています。

私は大学卒業後、国連で働き、その後大学院へ入りました。しかし、彼女たちの泣き顔が常に脳裏に焼きついていました。何かをしなければと思いました。故郷へ戻った私は村の男性や母親たちと話し合いました。そして、私は「いつか戻ってきて村の人たちが望むことを何でもするという約束を今果たします。何をお望みですか?」と聞きました。

母親たちからは、「女の子が通える女子校が必要です」と言われました。村には女の子だけが通える学校がなかったからです。さらに、女の子が学校へ通う間にレイプに遭うと、責められるのはその子の母親でした。女の子が結婚前に妊娠すると、母親が責められ罰を受けるのです。母親が叩かれます。彼女たちは 「娘たちに安全な場所にいて欲しいの」と言いました。しかし、村の父親たちと話をすると、もちろん全く反対のことを言います。「男の子のための男子校が必要だ」と。私は、「村の男性の中には海外で教育を受けてる人もいます。彼らが男の子のための男子校を建てて、私が女の子のための女子校を建てるというのはどうでしょうか?」と提案しました。彼らは納得してくれました。私は、「あなたたちの意欲を証明してほしい」と言いました。すると彼らは、女子校を建てるための土地を提供してくれました。そこに晴れて学校を建てることができたのです。

教育で人生が変わった女の子

この学校に通う女の子たちを紹介させてください。

アンジェリーンはこの学校への入学を希望して来ましたが、入学の基準を満たしていませんでした。彼女は孤児だったのです。それだけなら彼女を受け入れることができたかもしれません。しかし、年齢が他の子より上だったのです。アンジェリーンはすでに12歳で、私達は4年生の女子を受け入れることにしていたのです。彼女は孤児だったため、いつも住処を転々としていました。母親も父親もいませんから、祖母たちやおばたちの家を転々とし、彼女の人生に安定した時期はありませんでした。私は、今でも彼女を初めて目にした時のことを覚えています。アンジェリーンには彼女の外見からは想像できない何かを感じました。彼女は4年生としては年齢が上でしたが、教育を受けさせる機会を与えることにし、入学を許可しました。

 

そして、これが5ヶ月後のアンジェリーンです。彼女の人生が大きく変わり始めました。彼女は将来パイロットになりたいそうです。世界中を飛び回り、変革を起こすためです。入学した当時の成績は良くはありませんでした。しかし、今では彼女の成績は1番です。私達の学校だけでなく地区全体で1番成績が良いのです。

小さな行動がコミュニティに変化をもたらす

この子はシャロンです。

そして5ヶ月後の彼女です。

彼女はエヴェリンです。

これが5ヶ月後です。このように私達は変化を起こしています。私達の学校で新しい夜明けが起こっているように、大きな変化が起こりはじめています。

この瞬間、 125人の女の子は女性器切除を受けずにすみ、12歳になったときに結婚をせず、自分たちの夢を実現することができるのです。

これが私達の取り組んでいることです。彼女たちが成長する機会を提供しているのです。女性たちは虐待されることもありません。私達が自分たちのコミュニティに変革をもたらしたためです。(会場拍手)今日は私からみなさんにお願いがあります。今みなさんが私の話を聞いてくださっているのは、みなさんが前向きで、情熱があり、より良い世界を望み、戦争を終わらせ、貧困を無くしたいと考えているからだと思います。みなさんは社会に変革をもたらしたいと思っているはずです。人類の明日をより良いものにしたいと考えているからでしょう。私がみなさんにお願いしたいことは、まず最初に自らが行動を起こすことです。そうすれば周りはついてきます。まず、行動してください。すると誰かがついてきます。自信を持って、くじけず、恐れず行動するのです! 世界を変え、コミュニティに変化をもたらすのです!

私達は信じています。一度にひとつずつ、ひとりの女の子に、ひとつの家族に、ひとつの村に、ひとつの国に影響を与えていると。私達も変化を起こしています。あなたが、あなたの社会を変えれば コミュニティが変化していきます。そして、いずれは国に変革をもたらすのです。考えてみてください。もしあなたが行動し、私も行動すれば、私達の子供やあなたたちの子供、 そしてみんなの孫たちのために、より良い将来を提供してあげられるのではないでしょうか? そうなれば、すばらしく平和な世界で暮らせることになるのです!どうもありがとうございました。
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